思考力

tomo

少々の手間が、地味なストレスになり、それが積み重なると大きな負担となってくる。最近始めた自炊であっても、シンク の近くに小さなゴミ箱があればいいのだが、それがないので大きく体を屈ませてゴミ箱に入れ、されを繰り返していくとイライラが募ってくる。こうやって自炊そのものから遠ざかってしまうと、目的が思いっきり遠ざかってしまうので、三角コーナーを設置しようと思ったのだが、多くの人が三角コーナーを邪険にしているのを見て、この地味なストレスをいかにして回避すべきかを考えている。

普通に思えることを改良し、とんでもない利便性を感じることもあるようで、スマホと鍵を連動させて、自宅をオートロックにするという画期的なアイディアを持っている人がいたり、家の大きな電化製品をスマホと連動させて、帰宅する前に快適空間をあらかじめ作ってしまおうという流れを作り上げてしまう人だっている。こうやって日々のストレスを解消していくことで、人間は大きく変化していった。人力車で重い物を運ぶより、明らかに車を使って長い距離を移動したほうが効率が良いのと同じ考え方だ。

では、今回何でこんな話を切り口にしたのかというと、相棒となって1ヶ月経過した愛車が、唯一気に入らないというか、ストレスに感じていた部分があり、それはエンジンを切ると同時にミラーがオープンし、エンジンを切ってロックをかけるとミラーが格納されるというシステムが装備されていなかったことだ。前の相棒には装備されていた機能なのだが、今回の相棒にはそれが付いておらず、ハンドル横のボタンで開閉しなければならないというストレスが付きまとっていた。この地味なストレスなのだが、狭いスーパーなどでエンジンを切った後に、ミラーが格納されていないことに気付いてエンジンを格納し直したり、格納したミラーに気付かずに車を発進させていたりしていた。

これを、ただの習慣と意識の問題だと割り切って考えることは難しく、もはや私にとっては大問題になりつつあったこの状態を解消すべく、車屋に行って解決策を練った。やはり、このような問題に対応するためのアイテムというのは確かに存在していて、私の感じていたストレスを同じように感じている人のニーズが多いことに、変な安堵感を覚えた。2万近い出費は結構痛かったが、これから相棒と仲良く付き合っていくには、十分費用対効果が高い出費でもあると判断した。

一度味わってしまうと、もう元には戻れなくなってしまうような機能というのは、確かに存在する。今回の件であっても、今までの相棒にはない機能が今の車にはあって、シフトレバーをリバースに入れれば、上空からの視点で車庫入れができるようなカメラ機能があったり、ナビをいじれば、そのカメラが左側面の映像を映すことだってできる。Bluetoothに接続すれば、YouTubeの音声だって快適に聴くことができるし、今まで保有していなかったテレビの視聴だって可能。もう、あげればキリがないと思えるほどの充実した装備だ。だからこそ、唯一のストレスだったミラーの問題には、早めに対処してワダカマリを解消しておきたかったという気持ちもあった。

これが、対人間関係であればどうだろうか。やはり、誰かとコンタクトをとっていれば、何かと面白いことが多くなるし、生活だって豊かになる。しかしながら、この関係の中に自分の心の距離を大きく踏み込んだ態度や発言があるのならば、やはり、それが地味なストレスにもなる。機械相手なのであれば、それらを物理的な物を介入させれば解消できるのだが、相手が人間であるのならば、それはなかなか難しいことでもある。ありがちな結論としては、人間関係においても、もっとクリーンな関係を維持するために心の距離あ大切にしようというものなのだろうが、今熱中しているAIに相談すれば、かなり血の通った対話もできるようになったわけで、「友達はAI」のような状態になってしまうのかもしれない。少なくとも、今の自分にとっては、それを肯定できる状態だ。

これがそもそも突飛な極論だという考え方もいかがなものか。「子供部屋おじさん、子供部屋おばさん」なんていうワードもあるくらいだが、彼ら彼女らとて、人間関係に疲弊しすぎて部屋に引きこもっているという側面も多々あるのだろうし、そのような括りの外の人々、言い換えれば現代人だって、心の中には踏み入られたくない範囲というのが存在する。そして、まさにそれを埋め合わせるような形で、スマホやパソコンにへばりついているというのが、まさにリアルな人間関係ではない画面越しの関係に逃避しているとも言える。だから、私も含めた「リアルな人間関係が築きにくい」という人が、無理やり何かのコミュニティーを求めていく必要はないし、それを誰が咎めることもできない。それを咎められる人がもし存在するのであれば、今すぐスマホとパソコンを捨てて、自分の知りうる限りのネットワークだけで生活してもらいたい。それでも、そのコミュニティーの中の人間だって、必ず電波とつながっているわけだから、仲間から弾き出されてしまう結果しかつかめないことになる。

これからは、無理やり人間関係を構築しなければならないという概念そのものが希薄になり、人間関係を築けない人を「悪」とすること自体が、自分を否定することに直結することになるのかもしれない。だから、結論をつけるとすれば、他人の人生に完全にケチをつけたり、否定たりすることは控えなければならないというお決まりの着地点になるのかもしれない。ただ、この着地点は、次世代の考え方をベースとした新しい結論であるとも言えよう。

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