思考力

やさしい漢字

 

今日は、とうとう海に行けた。昼過ぎに起きつつ、サーフボードを積み込んで、強い日差しを浴びながらハンドルを切る。気象情報では、日本の南海上に、梅雨前線と台風の渦が生じている。こうなってくれば、そのウネリが千葉の外房へ向かっているはずだ。ここ4日間、ずっと時差ボケと精神的に波が昂らない状態が続く反面、波情報の様子では、ずっと良い波が立っている。待ちに待った、この台風から贈られてくるステキなプレゼントを受け取りに海へ急ぐ。どうせ、こんな日にはメジャーポイントは、サーファーでごった返しているはず。だったら、ある程度波が立っていたマイナーなポイントで入ろうとして、ポツリポツリとしかサーファーが居ないポイントへ車を停め、ウェットスーツに着替えようとトランクを開ける。

ここで、事件が発生。ウェットスーツがない。板を2本突っ込んで、ウェットを入れるバケツを放り込めば、いつでもOKな状態の快適千葉生活に染まり過ぎていた。油断のし過ぎだ。何やら、このマイナーポイントとは相性が悪い。ここでスケボーをやって思いっきり転倒したときの手首の怪我も、半年以上経てども痛みが取れていない。また、どこかでスマートキーを落としたと思い込み、まるでハワイの綺麗な波のような光景をこのポイントで目の前にして帰路に着き、肩を落としてエンジンを切ってみれば、ウェットの中に、スマートキーが潜り込んでいたこともあった。相性が悪すぎる。

ただ、引っ越してきた頃は、ここのポイントに入り浸っていた時期もあり、この海岸で、生前の母と一緒に撮った写真は、とても気に入っている。だから、写真立てに飾っている。何事にも、二面性というものがあり、一面的に物事を決めつけるのは良くないということを、自分に律しておくことで、今日の不運を納得することにしよう。明日になれば、まだ台風が直撃していることもないだろうし、ウネリはキレイに残っているはず。今日は、とりあえずリラックスジャズでも聴きながら、身の回りの整理をしておこう。最近の「フライングブログ」も、もはや、定番となったようだし、今は、夏カフェのジャズを流して記事を作成している。夜だというのに、意外と心地良い。

今から、YouTubeで飯を食えるかといえば、それは宝くじ当選レベルになるのかもしれないが、宝くじは「運」であり、YouTubeは「努力」。13歳と16歳の姉妹のプロサーファーが誕生したのだが、これは、「運」と「努力」が重なったから。では、それを指を加えて見るばかりか、そのような輝かしい人材の粗探しをするかは、その人の生き方次第だ。ただ、そうやって自分の努力を放棄して、他人の弱点を引っ張り出そうとすることは、明らかに悪いと思うのだが、優れた結果を出す人であればあるほど、腐った根性を持つ「アンチ」に囲まれてしまう。特に、日本にはそのような状況に陥ってしまうケースが多く、「出る杭はなんとやら」が、通ってしまう。

他人を非難したくなる時というのは、少なからず、自分に自信がない時であり、自分が偉業を成し遂げられないことに対して、もっと自分を叱咤して努力すべきところを、先に出た人物の足を引っ張り込むことで、自分のポジションを確たるものにしようとするからタチが悪い。「いじめ」が、その典型例であり、私が夢を抱いていた「予備校」の業界も、そのような足の引っ張り合いで渦巻いていた。さすがに、電話番号だけではなく、住所まで漏らされたときには、心底ゾッとした。それが原因で、業界を一時的に去ったのだが、次の業界のつまらなさに気づくことができ、再び教育の世界に戻れたので、これもまた良しとする以外ない。

真に優秀な人というのは、皆、優しい。日本という国は閉鎖的であるが、その島国の中で守られ、大切に育まれた「言葉」。その響きや奥深さというのは、他の言語にはない美しさを持っている。「優」という漢字1文字取っただけでも、「優れている」と「優しい」は、同じ漢字を用いられる。それを、論理的に組み合わせれば、優しく秀でた人というのは、「優秀な人」である。そして、「やさしい」という言葉も、腹黒いニンゲンから見れば、「易しい」と読むこともでき、それがそのまま、優しい人を「容易く」利用する「詐欺師」となる。このように、日本語のもつ繊細さと可憐さというのは、とても奥ゆかしい。

今の自分にとって、本当にやりたいこととは何だろう。今、ピンと頭に思い浮かばないということは、もしかしたら自分のやりたいことを、今まさに実行できているからなのかもしれない。なかなか家から出る気になれず、やっと海へ向かって、海岸で引き返さなければならなくなる。ふてくされて、最近オープンした焼肉屋の食い放題で憂さ晴らし。その前は、サーフショップで100円単位の値切りをしたというのに、食べることには豪快に金を遣う。次に引っ越す予定の2つの物件の1つの下見に行ってみれば、静かな場所といえば聞こえはいいが、墓地のようなところに位置していた。あまり縁起がいい静けさとはいえない。仮に、古池にカエルが飛び込む音が聴こえたとしても、とてもそれに趣を感じられない。むしろ恐怖。

なんだかんだで、今日はとても新鮮な気分になれた。少し、潮風を感じられるだけで、ここまで気持ちが軽くなるなんて思わなかった。東京であれば、こんな自然療法なんて思い付かずに、ずっと布団の中でうずくまっていただろう。明日も、海へ行こう。もちろん、自分の気分次第。海へ行きたければ行くし、忘れ物をしたら帰る。しゃぶしゃぶが食いたかったら、それで、焼肉だったらそれ。誰に咎められず、誰に気を遣う必要もない。やはり、すでに自分の理想の生活をしているのだと実感する。感謝。

 

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