思考力

寝耳に注がれる小声

 

緑のタヌキおばちゃんと言われているヒトの「都民ファースト」とかいう政党もあるが、もはや、台風が発生したら、「千葉ニーズファースト」なる政党を発足させても良いのではなあろうか。政治家が、今までの悪行がバレてしまったときや、いきなり非難の声が上がると、まさに「寝耳に水だ」と言わんばかりの無理な弁明をする。政治とカネは、もはや切っても切れない関係なのであろうが、台風が北上すれば、真っ先に被害が起こる千葉県民を誠実に守ってくれるような政党のスタートを望む。

幸い、今回の非常に強い台風で、私の住む地域では、2年前に愛車が水没してしまうような被害は起こらなかったものの、2年前と同じか、それ以上の被害を受けた地域も出てしまったようだ。一時、1万5000軒が停電してしまうような大きな爪痕を残す台風が通過し、やはり今回も同じように、粉々に砕け飛んだ瓦礫を処理しなければならない、心苦しい復旧作業が行われることとなる。緊急事態宣言解除初日にあたる10月1日に起こった惨事なので、飲食店にとっての精神的ダメージは、計り知れないことであろう。

このように、政治の裏事情として、カネが動きつつ選挙の票の争奪戦が行われるなか、やはり、やってはいけないことは、世間で起こっている無駄な政策や、上辺だけの対策に期待をしたり、その矛盾点に気づいて、過剰な怒りを表に出してしまうことだ。もちろん、怒りの感情というのは、一時的なパワーを必要とするのだから、それを原動力とし、今までモヤモヤしていた自分の生き方を、抜本的に改革することもできる。特に、内向的な人ほど、外へ吐き出す力を獲得できれば、それは大きな自信となって幸せを引き寄せる契機にもなり得る。しかしながら、普段の思考というのは、たとえ小さな影響であったとしても、必ず表に出てしまうもので、幸せをつかめるか否かは、ほぼ100%の割合で、いつも考えていることに基づいて流れていくことは間違いない。

では、その逆を考えたとき、思考が現実化すると仮定するのであれば、夢を叶える良い思考法を養うことで、幸せを引き寄せる契機にもなるという論理が成り立つ。集中力が必要なときに、パンクロックをBGMにしても意識が外れてしまうのと同様、リラックスしてジャズを聴くかのように、穏やかな気持ちを持続させたいときには、思考そのものを、自分の目標とする生き方へと繋げられるような回路を組み立てておくべきである。つまり、思考のベクトルにプラスとマイナスがあるとすれば、目的となるものが現実化し、どちらに進むかの岐路というのは、やはり気持ち次第というより、もっと深い根本的な「考え方」を変えていく必要がある。

浪費家であった私が、「ワンインスリーアウト」の意識で「断捨離」を行って気づいたことは、シンプルな空間にある物こそ、自分が大切にしているものを象徴しているということであり、その選別されて残った物を熱く語れるほどの物こそが、自分の必要としているエッセンスが詰まった大切な物なのだということだ。つまり、思考そのものをシンプルにして、可能な限り明るい方向へと気持ちを向けていれば、自分の目標や夢を叶えられる。具体的に例えれば、40半ばであれ、気持ちを若く保ち、サーフィンのトレーニング次第では、波から飛び出せるような技ができると信じられるようになり、それが具現化できるというわけだ。

もはや、断捨離を続けているうちに、自然と強い物欲が消えた状態になった自分がいる。これは、無駄な物を捨て去ることで、その空白の部分に、日頃の心持ちをオープンにし、明るい気持ちで他者と接しつつ、物と心の断捨離をした物を入れられたからこそ得られた思考回路である。災害が多い千葉県に移住し、仮に目に見えるもモノが失くなろうとも、自分の手元可視化できるモノは、必要最低限しかない。そのようなシンプルで身動きが軽い軽快な状態であれば、自分の身体を第一に考えられるほど楽観的な気持ちになれる。決して、チャランポランというわけではない。先に述べたように、幸せを掴めるだけの資格が、常に自分の中にあるような状態を形成できているのだ。

昨日は、ワードプレスのレンタルサーバーに支払うカネが引き落とせず、このサイトも危うく閉鎖されそうになったが、なんとか滑り込みセーフで復旧することができた。ブログ毎日更新が途絶える危険もあったが、心配事の95%くらいは、実際に回避できるということも知っているので、楽観的に落ち着いて対処できた。ただ、3ヶ月に一回、3,000円程度のカネがないというのは、とてもツライ。私が、政治家であったのなら、やはり「寝耳に水」のような逃げ方をしてしまうのだろうか。私の師がおっしゃっていたのであるが、カネの力は恐ろしい。簡単に人を変える。それならば、お金が引き起こす魔力ですら、「断捨離」してしまおう。

 

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