共育理念

思考力養成予備校では、「偏差値」「合格率」を上げることを目標としていません。志望校合格だけを目的とした、「受験勉強」の学習は、試験日までを逆算し、プランニングをして、淡々とノルマをこなせば、偏差値も合格率も、比例して上がっていきます。極論すると、「受験」という枠組みの中での「合格」というゴールを達成するためには、与えられた課題を計画的にクリアしていけば達成出来る、極めてシンプルな仕組みだとも言えます。良くも悪くも、努力が、そのまま成果となって表れるという意味では、とても「公平」な競争でもあります。

では、受験勉強し、合格した後のステージで経験する問題、社会に出てから直面する問題を考えたときに、努力した分だけ、問題の答えが出るというのは、極めて稀なケースです。また、どこで、どのような努力をすべきなのかを判断することから考えなければ、問題は解決できません。受験という非常に小さな枠組みの中での「成功」で満足してしまい、学ぶ姿勢を崩した者は、受験が、とても狭い世界だということにすら気づくことなく、社会に敷かれたレールに乗っかる以外、選択肢を見つけ出すことができなくなります。「受験問題」は、選択肢があり、正解の根拠は、問題から見つけ出すことができます。しかしながら、人生の中で生じる、複雑に絡み合った、様々な問題には、選択肢もなければ、明確な正解もありません。

私は、2年間浪人し、大学に入学しました。当時、予備校の超一流講師の授業は、1時間以上並ばなければ、前の座席を確保することはできませんでした。それでも、十分待つ価値があると思えるほどの授業が、繰り広げられていました。難関大学の問題を、まるで手品のように解いてしまう講師や、授業中に熱く人生について語る講師に魅了され、自分も彼らのような存在になりたいという憧ればかりが募りました。大学生になり、学習塾の講師としてデビューし、自分の授業に魅力を出させるために、浪人生の時に通っていた予備校に通い、自分の授業スキルを上げようと、必死でした。

今、英語講師を続けてきた人生を振り返ると、最も自分の理想の教育理念を妨げ、弊害となっていたのは、ピラミッド型のタテ社会でした。企業の規模が大きくなればなるほど、自由は効かなくなり、どうしても自分の理想とする、「打算的な考えを捨て、本当の勉強をしてもらいたい」という願いは、崩れ去りました。ただ、冷静に考えれば、学習塾や、大学受験予備校で、「受験勉強をするな」というのは、単なる私のわがままに過ぎないということに気づきました。

人生の中で直面する本当の問題とは、「白」と「黒」の間にある「グレーゾーン」の中で、いかに自分の判断力で、自分自身の道を選択し、切り開いていけるかという「思考力」を養成しなければいけないと私は、思います。そして、そのような柔軟な思考力を養成できる場を創りたいとおもい、この予備校を設立しました。教育は、「共育」だと思います。共に気付き合い、共に成長しあえる人と巡り合えることを期待しています。

  a Prep school for training the ability to think

思考力養成予備校代表

佐藤正隆