思考力

黄砂に盗られない

日が昇る頃の浅い眠りの時に、喉が痛くなりタンが出る。幼い頃、苦しんだ喘息のような症状が、ここのところ頻発している。なかなか厄介な症状なので、この原因を突き止めたくなるが、おおよそ引き起こしている震源地は分かっている。黄砂と花粉であろう。十数年ぶりに大量発生して吹き荒れている黄砂と、空気中に飛散している花粉。これらがエアコンの通気口あたりから吹き込んできていることが問題なのだと思う。さすがにこれは苦しいので、この記事を書き終えたら、早速のところ部屋の掃除とマットレスの位置を変更する作業に取りかかろう。

最近購入したiPhoneの設定が追いついていないところも厄介で、LINEの友達追加に知りもしない外国人が電話番号検索から友達申請してきたり、今朝などは、喉の痛みと眠りの狭間でウトウトしていると、非通知番号から電話がかかってきて叩き起こされた。もちろん両者ともにスルーしたのだが、やはり個人情報というのは思わぬところから漏れてしまうようで、こちらが望まなくとも、少しでも気を抜こうものなら、何かしらの隙を突いて侵入してくる。「身を守る」という表現は嫌いなのだが、やはり知識武装をしておかなければ思わぬところで何かを吸い取られている可能性だってあるのだから、「知らぬが仏」などという悠長なことなど言っていられないのだ。

最近は、ブログを書いていても、面白いことも明るい話もできていなかったのだが、今月いっぱいでドン詰まりだった大きな問題が、何かしらの形で大きく動くので、それを境に人生を立て直したいと思っている。そして、本当に損得なく私を心配し、支えてくれた人たちにお礼をしたいとも思っている。もちろん、そのような人たちはお金など求めてくるような人たちではないし、やはり心の中から真にピュアな気持ちで私を支えてくれたわけだから、せめて顔だけでも合わせ、その時に存分にお礼を言いたいと思っている。やはり、ドン底の時であっても、自分を助けようとして手を差し伸べてくれた人というのは、巡り巡って自分のところへ帰っていくようなブーメランのような流れができているのかも知れない。

先ほど、「自分の身は〜」などという輩の決め台詞に嫌悪感を示したのだが、悪いことをすれば、これまた悪い形で自分のところへ返ってくるのであろう。振りかざしたオノが自分の身に返ってしまったという恥ずかしい事態になる。そんな他人の不幸を推測する自分も情けないのだが、やはり黄砂の舞い散る今年の春の中で、自然に漂う空気であれ、身構えておかなければ自分を苦しめてしまうことにもなってしまう。その原因すら分からずに、自分の窮地の場所すら見失ってしまえば、暗闇の中でもがく以外ない。まさに「暗中模索」という四字熟語がぴったりと当てはまる。

時として、感謝とか恩返しということを考えることがある。やはり、自分のピュアな気持ちから、見返りを求めないで、相手に何か幸せになってもらいたいという気持ちを隠しつつ努力をすることもあるのだが、それを逆手にとって、こちら側からグイグイと恩恵を求め、奪い取っていくような人も多くいた。このような人物を、心理学的には「テイカー」という括りに分類されるようだが、やはり、そのような危険人物のアラームが自分自身の心の中で察知できたのであれば、容赦無く物理的にも精神的にも距離を置くことが大切なのだ。これは、40も後半に突入した今の自分なら、とてもよく理解できる。

これからの人生は、やはり、自分のことを心から大切にしてくれる人の存在を大切にしつつ、自分も、そのような人の支えになれるような人物に成長していきたいという志の高さをもつ。そのようにして、自分の人生を、いい意味で前向きにしていきたいと思っている。やはり、そのような生き方というのが、まっすぐに生きるということであり、若い頃に目指していた生き方に沿ったラインを作りあげられるのだと思うのだ。

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