思考力

The MEMORY of the unlimited World

腰の痛みが再発して以来、ずっと精神的不調が続いている。こんな事ではいかんと思い、昨日クルマの中に釣具を入れておき、目が覚めたら釣り場へレッツゴーの状態にして置いたのだが、昨日の夜のフラッシュバックがあまりにもひどく、今朝の目覚めも最悪なものだったので、釣りへ行くことはやめた。そもそも腰痛の引き金となったのは釣りなのだから、今回ばかりは控えておくのも得策だとも思ったのも事実。ただ、腰痛の再発でここまで気分が落ち込むとは、なかなか予想してはいなかった。

昨日は、一日中ずっと過去のトラウマばかりが心を掻き乱し、頭の中が痺れるような状態。特に、態度が悪く、こちらに攻撃を仕掛けてきた学習塾の生徒や、パワハラ以外何者でもない行為を繰り返してきた社員のことが怒りに油を注ぎ、相手の顔や輪郭までもがクッキリと脳裏に張り付いてしまった。そして極め付けは、その場で言い返せなかった事を悔やみ、もし今ならば殴ってやるという気持ちが爆発してしまい、YouTubeで喧嘩の動画を見ていたら、どんどん興奮してしまい、もはや自分の心が自分を支える事を不可能にしてしまった。

20時前には寝る前の薬を飲んでしまって、このまま眠れば問題なかろうとしたのだが、世の中そんなに甘いものでもなく、そのまま日付を跨いでしまって、結局いつ眠りに落ちたのかも思い出せぬまま目が覚めた。かなりの残眠感はあれど二度寝するまでもなく、そのまま身体を起こした。身体を覚醒させようと風呂をつけたが、電源をオンにしておらず水風呂となった風呂釜に半身浴し、大人しいルンバは見事に床の障害物の前で息絶えていた。精神的に不調な時というのは、やはり自分の中の注意が散漫になってしまうことを否めない。

自分が心から誠意を込めて行ったことに、不快な反応をされたり、そこをうまく利用して美味しいところばかりを齧り尽くして去っていく者もいた。そんな人たちのことを憂いても仕方がないのだが、やはり自分の心にきづ後はクッキリと残ることは間違いなく、そこを蔑ろにできるほど自分は鈍感でないことにも気づく。果たして、そのようなことを繰り返し続けて自分にプラスになることなどあり得ないはずなのだが、どうしても自分の心の中の負担を軽くできない。そればかりは、確定的事実なのだ。

夢を見た。今育てている観葉植物にリンゴが実り、実家の洗面所にコロッと転がった。亡き母からの手紙が届いた夢も見た。この浅い睡眠が続いている中での二本立ての夢は、やけに鮮明に記憶に残ったまま覚醒した。これが何を暗示しているのかはわからないけれど、自分の中に眠っている道の領域が、この先の人生の中で潜在意識として育っていくのかもしれない。道の領域を「思い出す」ことは不可能だ。それならば、それを受け入れられるだけの心の隙間は残しておくべきだ。ただし、そこをつけいる悪い輩にだけは注意するというのが、絶対の条件ではある。

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