思考力

2種類の弱さ

何やら、昨晩から今日にかけて、室温が低かったせいで、寒さで目が覚めた。現在午前4時。ネルシャツを着ながら、この記事を書いている。秋到来といえば、少し気が早いとはいえ、1ヶ月後には、このような気温の中で寝ることになる。秋という季節は、快適な気温で、体を動かすにしても、食を楽しむにしても、とても良い時期だ。こんなに物事がスムーズに動いていく季節に、何とかして自分の生活を立て直さなければならない。

やはり、人間というのは、窮地に立たされた時に本気が出るらしく、本気で就活をしたら、2件の会社に採用された。これは、大切にしておかなければならない仕事だ。もはや、ナマポの保護費で生活するのでは無く、それはないものとして考えなければ、いつまで経っても、生活に困ることになる。そもそもの話、ナマポの保護費というのは、そのような自立に向けての制度なのだから、もっと大切に使うべきだった。しかしながら、今回の保護費は、私の依存症のために使ってしまったのだから、自業自得の極貧状態である。

分かって入るけれども、どうしても誘惑に駆られてしまう。そんな自分の弱さを受け入れるというのは、とても難しいことだ。ある人は、そんな自分と折り合いをつけて生きていくという素晴らしいことを言っていた。では、その共存していくべき「弱さ」は、克服しなくていいのだろうか。それは、とても判断し難い問題でもある。たとえが正しいのか分からぬが、長距離走の選手が、短距離走の練習や走り高跳びの向上心を持ち、いわゆる自分のできない弱点を克服するというのは、ナンセンスだ。

だから、弱点を克服するという考え方は、綺麗事を抜きにすれば、やはり的を射ておらず、やはり、自分の弱点は弱点として、自分自身を納得させて生きていくことが大切になってくるのだろう。ただ、自分の弱点にも、2種類ある。誘惑に負けてしまう弱さと、自分では改善が困難な問題である。先に述べた、保護費を自分の欲望に変えてしまった弱さと、自分の能力が足りなかった弱さ。前者は改善しなければならず、後者は改善のしようがないものとしてキープして生きていくという考え方だ。

この2種類の弱さを、冷静に判断していけば、中年の私にだって、まだまだ成長の機会というのは、与えられているのだと思う。このような成長の過程の中で、自分の悪い方の弱さというのが克服される。すると、年を重ねるごとに、自分の心の樹の年輪が、美しく刻まれていくのだと思っている。

-思考力