思考力

AIの資本主義社会

浅い夢を見た後、身体中に痛みが出てきた。この謎の体の痛みは、ここ数週間続いていて、何が原因なのか詳しく知りたいところなのだけれども、時間が経てば軽減する痛みなので、起床後数時間の筋肉痛だと解釈しておこう。ただ、やはり健康には、かなり強く気を張っており、訳のわからぬ大病でも患っていないかと、とても心配にもなる。頭蓋骨骨折の時だって、取り立てて何の予告もなかったわけだし、三日前の高熱を伴う風邪であっても、手洗いうがいをしていてもかかってしまった訳だから、少しであれ体に変調があったら、対処しなければと思っている。そんな自分が、深夜にバリボリと、甘い煎餅を貪り食っているのは、大問題ではあるのだが。

浅い夢を見たと書いたけれども、それはかなり鮮明であり、かつて自分が傷つけてしまった人に遭遇してしまい、酷く怒られてしまうという夢だった。相手の厚意を無下にした自分に一番の理由があるので、それを考えると、今でも謝罪したい気持ちが強い。よく、自分が許せない相手に対して、トラウマだとかフラッシュバックだとか言っているけれども、そのような危害を加えてきた輩たちの心に、罪悪感や良心があるのであれば、私に対して、何らかの申し訳ないという気持ちが出てきて、生活に影響が出たり、決して自分では操ることのできない「夢」の中に、私が出てくるのかも知れない。まさに、これは因果の道理にかなっている。

実は、昨日のブログのほとんどは、AIに書かせたものであった。最近始めた、TikTokとInstagramの方の比重が重くなりすぎて、なかなかブログまで意識が向けられなかった。そんな文章を、YouTubeにアップして、改めて読み返してみると、やはり後半あたりになってくると、自分の思いとはかけ離れている箇所があったり、ある部分での出来事が、すっぽり抜けてしまったりしていた。AIに読み込ませたのは、プロンプトを出した時の記憶を辿ったことを、列挙しただけなので、実際に起こったことを、全てAIに任せきりにしてしまうことなど不可能なのだ。

今回の記事であれ、ゼロから自分が書いているのだが、やはり起床後の体の痛みの詳細や、そこからの体へのケアの気持ち、また、自分が傷つけてしまった人へ対する反省の気持ちなど、それをAIが汲み取ってくれることはない。だから、やはり文章というのは、人間が主体でなければならない。ただ、これでこの記事を終わらせたいところだけれども、AIが作り上げた文章の中に、そのような表現があったのかと、感心してしまう部分があったことも事実。それを考えると、人間が、ある目標や課題を解決するときに、ただ単にプロンプトを最適化して出せるようになれば、後の創造的な仕事は、AIが勝手にやってくれ、それを切り取って誰かに公開すれば、オリジナルの作品が出来上がってしまう訳だ。

この事実に、恐怖を抱きつつも、やはり大きな可能性を感じた方がいい。使われるより使う側に立つ。これは、資本主義の原理である、労働者と資本家の関係と同じであり、「アールダイナりじー」の関係にもお味ことが言える。こうやって考えながら、文章の言葉を重ねていくことで、自分の表現力や語彙力が増し、それが日常生活の端々で表面化すれば、それで正しいプロンプトを出すのにふさわしい人間になれる、やはり、主導権を持つ指示出し人間は、人間であるべきなのだ。

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