思考力

回し蹴る

今朝の冷え込みから一転、日中はポカポカの陽気。最寄りの海岸の駐車場では、上半身裸でウェットスーツを脱着している人もいるくらいだった。冬の着替えは、なるべく肌を露出しないように工夫をするものだが、この暖冬の12月、その必要はなかったのかもしれない。ただ、四季のある日本では、なかなか事態は甘くないようで、来週の寒波は、とんでもない記録的な状態になるようだ。iPhoneで見る天気予報では、最高気温が6度だったり、最低気温が氷点下の日もチラホラあった。こんなときには、つくづく自分が強制的に起きなければならない状態になってしまう「会社員」でなかったことに安堵する。

今日、復帰して初めてスケボーで転倒した。逆に言えば、この数ヶ月、全く転倒しないで滑っていたことは、まさに奇跡と言えよう。転んだ瞬間に、「来た!」という危険を察知しつつ、次の瞬間に、自分の腰に強い痛みが走らなかったことに驚いた。今、多少ピクピクするような痛みがありつつも、恐れていたような深刻な状態にもならなかったので、今までの取り越し苦労はなんだったのかと、少し「もったいない気持ち」にもなってしまった。でも、今までの腰の疲労骨折という誤診を、まさに信じていたからこそ、派手な転び方をしなかったわけだし、これからのスケート人生においては、もっと攻めの姿勢で板を蹴り込むことができそうだ。

今日は、結構いろいろなことを考えていた。亡き母の棺に、私が入れた最後の物が、果たして正しかったのか、もしかしたら、あの世で虐められるのではないかとか。ただ、それを燃やし切ってしまうことで、「あの」苦しかった時期との決別もできたのではないかと思う気持ちも出てきた。実際に、どんな物なのかを、ここで言及することは避けるが、自分の行動が、何もしないという選択なのであれば、そこに変化や不安は生じないのであり、逆に、何かアクションを起こすというのは、プラスであれマイナスであれ、そこには必ず変化が生じるのである。他界したときに、棺桶に入れた自分の「燃える物」は、果たしてゴミだったのか、宝物だったのか。正直、前者であったのだろうと車の中で考えると、何もしないという選択肢こそが、一番正しかったのだろうと、かなり強く後悔することになってしまった。

明日、リハビリのために、例の大混雑する整形外科に行こうかと思うのだが、さすがに混雑する中で、各部位ごとに10分かかる治療を受けるというのは、なかなか大変だ。もちろん、自分の体のメンテない椅子を、自分から放棄するのはもったいないというか、絶対に避けなければならないのだけれども、待ち時間というのは、誰にとっても苦痛なはずだ。

かつて、私のことを「せっかち」だとして揶揄する者がいた。確かに、待ち合わせの場所に着く時間が早いとはいえ、私が運転する車に、さらに二人も乗車させ、全部で4人をピックアップする自分に対していうべきことでもなかろう。さらに、その3人で、私のせっかち話の悪口で盛り上がったスノーボードの話を、私の車の中でされた。今考えても、かなりのエスっ気のあるゲイだったはず。もちろん、マイノリティーを差別することはないのだけれども、自分の趣味嗜好に合わせて、こちらを馬鹿にするような言動は、絶対に控えてほしいものだった。

東京から海に通う。そんな道中で、誰かと一緒にいることで、表面的な寂しさは紛れるのかもしれない。ただ、それが自分の負担となり、それによって何か大切なものを奪われてしまうのであれば、絶対に一人でいた方が良い。だから、今の自分の生活スタイルというのは、決して間違えてはいない。好きなときに、好きなだけ身体を動かし、好きなことを考え、そこに思慮深い感慨を思い浮かべる。もちろん、そのようなヤカラのしたことや、されて悔しかったことを思えば、頭に血がのぼる。ただ、これからの人生において、少しでも怪しい人物に出会ったのであれば、その時はフルパワーかつ、フルスピードで逃げることを学ぶべきである。

明日の分の記事を書き上げた。この記事をYouTubeにアップロードしたら、スケボーのメンテナンスをしてしまおう。そして身体のメンテナンス。明日の冷えた朝に気持ちが塞がないように、しっかりと身体を温めて眠って、もう人気もいないはずの海沿いの駐車場で、思いっきりスケボーと昔のトラウマを蹴り込んでいきたいと思う。

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