思考力

完治しないなら寛解を目指す

依存。依存。依存。最近のブログのネタは、ずっと「依存」がテーマとなっている。私自身、今、一番難しいところから抜け出せつつある実感も湧いてきて、このプラスの流れが続いていけば、借金問題は一気に片付きそうだ。その為にも、こうこれ以上、この依存に振り回されずに離れられれば、私は人並みで生活ができることとなる。昨日、一昨日のブログの記事ではないが、やはり、心配事の8割は、実際には起こらないということを実感した。

昨日は、釣りに行った。そして、今日も、このブログを書き終え次第、釣りに行こうと思う。金がかからない趣味。一日中陽の光を浴びて、メラトニンを大分泌させ、強制的に朝方の生活スタイルに変化させる。そして、何より、釣りをしている間は、依存の問題からは物理的な距離ができるので、一切依存からは離れられる。これは、とても素晴らしいことである。だから、今の私には、この上ない時間の過ごし方だと言えよう。

依存症は、上手く付き合うということは厳禁で、キッパリ止めることが大切だ。もし、上手く付き合っていけるのであれば、それは依存症とは言わない。ただ、現時点での私の状態というのは、依存の対象に近づく暇がないほど何かに没頭し、その何かとともに、依存との物理的距離を保ちつつ、自分に魔の手が伸びないようにする。

依存した人たち全員が言う。意志が弱いわけではないと。また、お金は取り返せど、依存している間に失った「時間」は、取り返せないと。私も全く同感だ。ただ、ここで意固地になってはいけない。確かに、とんでもない無駄をしたことは認めるが、これから先の人生を充実させることは、きっとできる。そして、同じ悩みを持つ仲間との協力と団結で、この依存という大きな大きな困難と向き合い、完治のない後遺症を引きずりつつ、寛解を目指していきたいと思っている。

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