思考力

脚の中点連結定理

 

何がきっかけだか心当たりがないのだが、酷く心が悪い方向への風になびいてしまっている。変わったのは心持ちだけではなく、身体にも顕著に表れていて、精神的な負荷に対して、ムシャムシャとドカ食いすることで解消するので、どんどん体重が増す。先日、体重計に乗った時に、体重計が壊れているのかと思わざるを得ないような数字を目にした。自分の身体を支えている二本の脚の中点の膝がバキバキと音を立てて、今では両膝とも完全に曲がらなくなってしまった。老と体型の変化とは恐ろしいもので、これに精神的低調が加わると、一気に事態は深刻化する。

かといって、食べること以外に何かをしてみようとしたところで、気持ちばかりが焦っていて、釣りをしていても気が晴れず、ましてや厳寒のこの気温の中でサーフィンをしようという気力は、なかなか湧かない。釣り糸を垂らしながら、海の中で優雅に波に乗っているサーファー達を観ると、何やら羨ましい気持ちはもちろんのこと、何か大きなものを失いかけているような気持ちにもなる。サラリーマンの地獄を再び味わいたいとは思わなくとも、どこにも拠り所が無いという現状を乗り超える術も見つからない。

今、夜中である。毎朝の日課である「朝ブログ」の更新でさえも、朝起きるときの苦痛につながるのでは無いかと不安になり、宵のうちに仕上げておき、そのまま眠ってしまおうと考えている。ところが、眠気が来ることもなく、酒をあおっっても、余計に目が冴えるばかり。もはや汚れた体内から放出された毒が、一気に脳味噌に回り込んで、心身ともに毒されてしまっている感覚だ。考え方を変えるとか、ポジティブな気持ちを取り戻すなどと、自己啓発書には書かれることもあるが、それができれば人間は苦労しないし、人間は「不安」というブレーキがあったからこそ、ここまで進化できたのである。動物との決定的な違いは、このネガティブな思考回路にあると思えば、私のこの状態というのは、極めて人間的なのだとも言える。

ただ、この時間に、何の下書き用の原稿も用意していないブログの着地点は無いわけで、フワフワと宙を舞う私の思考は、まるで負の穴へ向かう煙のようである。過去に自分に危害を与えた者へ対する怨念や執着心が特に強く、それに対しての怒りのマグマを手懐けることも一苦労。これを、ただひたすらに「過食」と「過眠」でスルーできるのならば、しばらくは体重計という存在を無視して、冬眠の前のクマのように栄養を蓄えていこうではないか。そう考えでもしなければ、この負のループから抜け出すのは、ひどく困難であると思われる。

過去のネガティブなことを思い出してはいけない。もちろん、そんなことは分かっている。分かっているけど、それが人間だということも分かっている。先ほど書いた通りだ。だったら、今、自分が取るべき行動というのは何なのだろう。シンプルに考えれば、どんな生物であれ、生きるということをいちばんに考えているわけで、人間もその範疇にいるはず。ただ、それこそ人間というのは下等動物かのように、自らの命を自分で切り裂くこともある生き物でもある。非常にデリケートな生物だ。生が難しく、その反対がシンプルだからといって、その方向に行けば地獄に行って虐められると教わるのであるから、これまた「生き地獄」である。

こんな夜に、いたちごっこのような文章を書き綴っていたら、いつの間にか軽く1600文字を超えていた。最近の朝のブログは、1000文字を超すのに、多少苦労することもあるのだが、夜はいろいろと勝手が違うようだ。どちらがいいのか分からぬが、夜中に書いたラブレターのような文体になっていないか少し不安である。そんな言い訳の予防線を張りつつ、再び床へ就こう。もし眠れなかったらと考えると、やはり不安にもなるが、一生眠れなくなるわけでもないはずなので、とりあえず脳と身体を休めよう。横になっていれば、少なくとも、両膝への負担だけは軽くなるのだから。

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