思考力

一覚醒目

朝の5時。外は真っ暗だ。とりあえず、4時には起きていた。ぬくぬくの布団の中が愛おしかったはずなのだが、エアコンの設定を弱くしていて、寒さで目が醒めてしまった。二度寝をしようとも、まだ眠気は来ない。それならば、今日もコーヒーを飲まないで、このままブログを書いていこうと思った。確か、昨日も同じようなことを書いていたような気がする。今日の睡眠パターンも長さも昨日と同じく、夕陽が落ち切る前に薬を飲んで寝て、朝日より先に起きるという時間帯だ。最近のお財布事情で難しいこととは言え、このまま牛丼でも食いに行きたいが、財布の中には実際に行けるほどの余裕はない。それに、この寒さ。やはりヤドカリ生活の方が性に合っている。

昨日、刺激的なこともあった。千葉で勤めていた会社の元同僚の方と電話で話ができたのだ。同じ校舎に配属され、未婚か既婚かの違いがあれど、その他の点においては、相似する部分が多かった。昨年の私の大怪我から話が始まり、お互いの心身の健康の話などで、話に花が咲いた。一つだけ違う事は、その人の記憶からは、当時の会社への不満などは消滅していて、今を生きていると言うこと。私のように、過去に固執しているという事はなかった。それがいい事なのか悪い事なのかをジャッジするのは不可能だが、やはり現在を生きられると言うのは、しっかりとした未来へ向かって生活を切り替えられているということなのだから、決して悪いことではない。もちろん、ヤドカリ生活も悪いとは断言できないと思っているのだが。

あと3週間程度を、1万円程度で過ごさなければならない。ヤドカリ生活でエアコンをつけっぱなしにしていたので、電気代もショッキングな金額だった。それに、家賃も滞納確定なので、やはり生活と切り離せない時間と金というものを、私は莫大に損失していたのだ。やはり、家でじっとしていると、その二つを多く浪費していたことに対する後悔の念というのは、くっきりと私の心に浮かびつつ、私の心に突き刺さるのは確かなことで、時間という後戻りはできないベルトコンベアで足踏みをして、大した財も得られなかったのだから、社会的には不適合だったのかもしれない。残された余命で、ここから人生を上向きにさせたいものである。

まだ陽は出ていない。私が就寝したときと、今の暗さは変わらないはず。という事は、人生の暗闇や明るさというものも、いつが始まりで、いつ終わりで、今、どれだけの時間が残されているのかという事は不明なのだ。それならば、今のヤドカリ生活の時間的長短というのは、どれほどの価値を自分の人生に影響を与えるのかは分からないし、これを一概に善悪に分ける事そのものが間違っているのかもしれない。とりあえず生きてみる。それこそが、今の自分にできる最大の生きる訓練なのだと思っている。

-思考力