思考力

蟻の侵入

フリーな時間というのは、超多忙な人以外にとっては、毒にも薬にもなる。楽しく家族とレジャーを楽しんだり、趣味に没頭するなどのリフレッシュできる時間を過ごせる人。それに対し、ザックリと対極に分類されるのが、暇を持て余してしまう人だ。これが、かなりタチが悪い。ひきこもりやニートの人たちにとっては、この時間に過去の被害妄想などの爆発があった日には、その人たちは、もはや壊滅的ダメージを負うことになる。そして、最近の私のテーマとして欠かせない、依存症の人にとっても、このフリーな時間というのは、鬼門である。

意味のあることをしなければいけないと心の中で思ど、意識は依存の方向へと傾き、一気に依存の対象に溺れている。そこに共感してくれる人はほとんどおらず、自責の念ばかりが募っていく。届かない思いでいっぱいになる。今回、私は、自助グループと出会い、自分と同じ苦しみを持つ人たちと、同じ苦しみをシェアできるようになった。それでも、依存の対象は甘くはなく、そう簡単に私を赦してはくれなかった。私の中にいるもう一人の私。それが、こんなにも脆いのかと考えると、今まで熱中していたこと、レジャーに打ち込めていた過去の自分を、あっさりと呑み込んでしまう依存の対象が、憎くてたまらなくなり、また、その強靭さに自分の弱さばかりが露呈されるような気持ちになる。

私は独りではない。ただ、同じグループの中であっても、それぞれの苦しみは、個々人によって種類や強弱は異なるのであり、そのような意味において、完全に自分と同じ苦しみに陥っていると言えないことも事実だ。完全な心の一致というのはあり得ない。これは、私が大学生の頃、自分の周りに親友と呼べる人が、誰一人いなかったことに考えていたことと同じでもある。

依存の対象というのは、孤独な人間の心の中にスルリと入り込む。実に巧妙だ。誰もいないポッカリと空いた孤独な心の隅へと入り込み、そこで人の心に幸福と快楽を与える。そこまでで終わりなのであれば、その天使のような依存の対象にのめり込めばいい。ただ、一定の期間が過ぎ去ると、もう一つの顔を覗かせる。死神の顔。意思の力では、決して抜け出すことができない強烈な力で、蟻地獄へと叩き落とす。足掻くほど深みにハマっていくのだ。孤独な人間であればあるほど、この穴に深くハマっていく。スリップを繰り返し、克服したと思い込んでいた今の自分そのものを文字に起こしたようだ。

1日だけ依存を克服したと喜べど、次の日には3倍の強さで依存の強度は増し、私の心に深く傷をつける。蟻地獄はやがて、ブラックホールとなり、もはや自分が何もしなくても、強力なパワーで地獄へと引きずり込んでしまうようだ。果たして自分は、この地獄の穴から抜け出せるのだろうか。自信はあまりない。これが本音だ。でも、いつかは止められる。ただ、それが最悪な結果によってもたらせられぬよう気を付けねばならないとおもう。

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