思考力

赤ワインな2人のナイスガイ

 

余計なモノが入ってくると、非常に不快に感じる。今のような、カネはなくとも、非常に充実しているような時は、特にそう感じるものだ。宮崎駿のアニメーションソングコレクションであれ、新海誠の映画テーマソング集であれ、途中でCMでも入ってこようものなら、そのCMの商品を絶対に買いたくなくなるほどの怒りが湧いてくる。それほどの怒りが湧くくらい強烈なインパクトを与えるために、広告というのは、上手い具合にコチラの脳ミソに進入してくる、非常に厄介な存在である。油断も隙もあったものではない。

成功者が隠れてやっていたような努力があるとすれば、逆説的ではあるが、その分野で努力しているという自覚がないということを隠すくらいだろう。特に、何不自由なくやっていて、しかもそれが、他人から見てすごいと称賛されるような場合、その人は成功者と言えるのではないだろうか。少なくとも私はそう考えている。無理矢理やっていることに対して、強い嫌悪感しか抱けずに続けて、仮に何かに「合格」できたとしよう。でも、それはただ通過点を越えたことの証であって、今後は何の成功にも結びつくことはないとも思っている。

そもそも、嫌なことというのは、どうしても後回しになってしまうモノで、それが「成功」への重い足枷となる。だから、成功を掴んだ者というのは、ある意味では、自分お不得意な分野に、とっとと見切りをつけ、自分の好きな得意分野で勝負に出たと言ってもいい。そして、それが偶然にでも高く昇華したのであれば、その分野の成功者として君臨できるのだといえよう。予備校の動画を見ても、私よりずっと若い講師が、自分のことを「おじさん」と、皮肉混じりとも取れるような言い方をしているが、それが事実ならば、その動画を見ている予備校を出身者の私は「おじいさん」である。

今でも、非常に印象に残っていて、当時、とても反省したことがある。今でも忘れない、高校卒業直前に、自分の腰が痛んだ時に、「俺ももう歳かな」と言い、嫌いな高校の中で、数人いた仲の良いクラスメイトに、「自分が若いのに年だというヤツは嫌いだ」と言われ、ハッとしたことを覚えている。私は、それ以来、自分のことを「オッサン」という人を、酷く嫌悪するようになった。そのような面において、そのクラスメイトには感謝している。後に、彼のFacebookを見れば、私の大好きなバンドの所属するレコード会社の代表取締役をやっていた。これには、とても驚いた。印象的な人が、その後の人生で大きな成果を収めていることを知ると、とても励みになるものだ。

釣り上げた魚を捌く。鱗が刺さると、自分のカラダに電気が走ったかのような痛みが出る。YouTubeを観ながら捌いているのだが、なかなか思うように上手くいくこともない。調味料は塩で、調理器具は包丁とガスバーナーのみ。必然的に、魚の塩焼きにしかならないのだが、徐々に腕を上げたような気もする。三枚おろしは難しくとも、二枚おろしくらいはカタチになってはきている。やはり、スーパーに並んでいるようなカタチに近づくと、なんとも嬉しいものだ。

ただ、現役のせり人が、2秒でアジの速卸しをしながら、裏技の解説をするような動画は、まさに圧巻。このような職人であれ、最初は私と同じような痛みを感じつつ、魚に対する興味が湧き、捌けば捌くほど、自分のスキルが上がっていって、見渡せば「板前」と呼ばれていたのだと思う。もし、その道の職人が、無理矢理、苦手な「走り高跳び」をさせられていたら、自分の才能は開花することはあり得ない。だから、その道のプロになるためには、常に自分を「若い」状態にしておかねば、自分をアップデートすることはできなくなってしまうのだ。

断捨離に断捨離を重ね、昨日は、布団まで捨ててしまった。旧居で使っていた8万以上するマットレスの効果など微塵も感じられなかったけど、寝相が悪い自分に、最適な2人用の寝袋で寝ることが最高の選択肢だと知った。パートナーがいないから、抱き枕を抱いて寝ているのだが、それでも最高の寝心地である。どうしてこんな快適な睡眠方法を見出せなかったのかと後悔している。ただ、自分は「おっさん」ではないので、これからの人生で「寝袋生活」を満喫していればいいのだと、自分を納得させられる。やはり、将来、超有名バンドのレコード会社の社長になる逸材の重みのある指摘は、貴重なものである。

釣りに行き、竿を折り、次の日にはサーフィンへ行く。波がグチャグチャで、コンビニで仮眠をとって家でブログを書く。その後、土砂降りの中、今度は車を北上させて、違うポイントで入水して、久しぶりに波乗りをする。ほぼ毎日、スケボーに乗り、定期的にインドボードで300回以上スクワットをし、サウナなんかよりよっぽど大量の汗をかいていれば、身体は引き締まり、板の上に立っても、不安定どころか、ただの床の上に立っているかのような安定感。自分でも、こんなに上達しているとは思わず、まだまだ自分は若い発展途上の人間なのだと再確認できた。

家につけば、同じアパートの若い住人と鉢合わせになった。何回か鉢合わせになっていたので、生臭い釣具と砂まみれのウェットスーツ の部屋に招待して、初めてゆっくり話をした。金髪で、昔悪かったという雰囲気が出ているナイスガイ。こういう人こそ、なんだか親近感が湧く。くだらぬ上下関係ばかりを優先して、人をボロ雑巾のように扱ったブラック企業の人間とは、全くの異質の存在だ。そんなブラック企業との労働のあっせんの書類が届いていたので、紛争中だということを言って笑った。

そのナイスガイは、自室からワインまで持ってきてくれて、初めて千葉で豪快に酒を呑めた。自宅なら飲酒運転の問題をクリアできる。そして、夜8時以降であっても、問題なくステイホームの酒を楽しめるというわけだ。ハワイアンギターのリラックスミュージックをかける機材もない私の部屋だが、そんなことは、話の内容とは、全く無関係だった。彼から見ると、私の生き方は、理想的だという。これは、お世辞でもない心からの言葉だと分かった。最近は、信用できる人とそうでない人の区別や、本心か偽の言葉か飾り立てた言葉かの区別も、おおよそつくようにもなった。だから、ひとまわり以上、年齢が上の人間が、真正面で話をしている。そんな大切な時間だった。

台風14号が、猛烈な勢力で北上中。新型コロナワクチンの報道も飛び交っている。今は、まさに人生が二手に分かれていく過渡期とも言える。おつまみすら出せない自分の経済的事情も関係なく、空きっ腹に赤ワイン。でも、楽しくて仕方なく、千葉に来て一番飲んだ日になったかもしれない。本の1時間程度で、一本半の瓶が乾いたのだから、かなりのハイピッチ。おかげで興奮して眠れていない。

人生一度きり。既製のレールがもはや常識ではなくなるような時代に、いかにして満足な人生を歩めるかどうか。そんな自分の生き方に憧れてくれる若者がいるというのは、なんとも嬉しいことであった。

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