思考力

死神が消える確率

今日は、自助グループのミーティングだ。自分なりの意見をまとめておく為に、大体のアウトラインを、このブログでも記しておこう。私は、塾の講師を長年やっていた関係で、話をまとめるのがうまい方だと思うのだが、自分の一番恥ずかしいと思っている現在の依存のことになると、声が震えて、言いたいことの6割程度しか話せなくなってしまう。やはり、自責の念が強いようだ。もちろん、そこまで自分の弱きところを認め、そこを克服しようとしているからこそのミーティングの参加であるとも言える。

依存というのは、二つの側面を持っている。まずは天使の顔。孤独な人間の心の隙間に入ってきて、華やかに祝福をしてくれる。脳には快楽の印が刻まれる。それならば、そのまま依存していくということは、素晴らしいことと言える。ただ、依存している期間が長くなるほど、二つ目の側面が顔を出す。死神の顔。どんなに避けようと思おうが、決して消え去ることのない傷を、脳に遺していく。そして、その傷痕は決して消えることはない。これが依存の姿だ。

今回の自助グループでの自分の話の具体例は、この辺りでいこう。私の乱れた感情、崩壊してしまった脳。もはや、取り返しがつかない状況だ。ただ、米国ペンシルバニア大学の研究によれば、心配事の9割は実際には起こらず、16%の出来事は事前に対処していれば対処が可能だという調査もある。ここで、残りの4%は…、などという浅はかな考えは置いておくとして、実際、自分のことに当てはめてみると、とても面白い結果もある。

実は、先日、アドセンス狩りをされたようで、このブログの広告が剥がされ、アドセンスの収益がストップしてしまったのである。そして、昨日は、千葉県の自立支援金の振り込み日で、その日のうちに、そのお金を依存の対象に費やすという「愚」を犯してしまったのだ。しかしながら、奇跡的に、私の広告収益だけは振り込まれる予定になり、次のアドセンスの日まで持ち堪えられれば、私の生活は持続可能な状態になるのである。こんな奇跡はあるのかと思いきや、先程の96%の確率の話を思い出したのだ。

これも、二つ目の具体例として、今日のミーティングで話したいと思う。

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