思考力

泥眠

日々の雑記ブログを書いても仕方がないが、今回は、昨日の出来事を綴ることから始めよう。昨日は、夜中の3時に釣りに出かけ、そこの駐車場で日の出を拝んだ。釣り施設なので、入園まで時間を潰さなければならないのだ。3月最後の日。例年とは違って、サビキ釣りで釣れる、イワシやアジなどの魚が釣れず、日の光を浴びただけで帰ってきた。そこで悪魔の囁きが心の鼓膜を揺らしてくる。例の依存だ。依存で一番厄介なことは、フリーな時間をつくってしまうこと。やがて、帰りの車中では、もはや依存の対象へ向かうことしか考えられなくなっていた。

依存行為を行いながら、自助グループの仲間の顔が浮かぶ。何の為に、自助グループの会に参加しているのだろう。ただ一つ言えることは、いくらスリップしようとも、ミーティングにだけは参加しようと思っているということ。同じ苦しみを持つ仲間との出会いが、これほどまでに自分の心の支えになるとは思わなかった。そもそも、自分の依存を克服する為に参加したミーテェングだったが、人間と話ができるという、私にとっては掛け替えのない喜びを与えてくれる場になっていった。

私には、友人というか、日常生活で話をできる人は、床屋の店主のみ。髪の毛だって、毎日切らなければならないほど生えてくるわけでもなく、髪を切る日以外は、誰とも話をしない日などザラだ。そんなときに出会ったのが、私の依存克服のグループである。こんなに自分の心の救いになる気持ちの分かち合いができるグループもないではないか。私の心の拠り所となってくれている。傷を舐め合う場所ではないが、私の心に共感してくれ、私も仲間の心の苦しさに共感できるのだ。

依存行為が終わった後、私の緊張の糸が見事に切れたかの如く、とにかく眠った。まるで泥のように。およそ14時間くらいだろうか。釣りの疲れも加わって、とんでもない時間、眠りに落ちていたのだ。私の依存行為に終止符を打てる日は来るのだろうか。甘えてはいけない。でも、意志の力ではどうしようもないのだ。仲間の力を借りなければならない。そうしなければ、私はもはや立ち直ることはできないと思っている。そして、そのように考えられるだけの心の拠り所を、今のグループで見つけられたのだと思っている。

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