思考力

闇に抗う祈願

私が、患っている双極性障害には、完治というものがない。気分の波を見計らい、それを服薬によって調整するわけだ。周囲の環境の変化による体調の悪化もあれば、睡眠時間の長短によっても、症状が変化する。これを、一生飲まなければならない薬でカバーするのは、とても苦しいこと。でも、健常者からは、外部から障害が見えないことから、薬を飲んで体調を管理していることに対して、「甘えているだけ」という誤解をされてしまうという側面は、なかなか厄介でもある。

症状が酷いときには、体を動かすことが難しいくらいの日もあり、まるでベンチプレスをやっている時のように、横たわる体が動かなくなる。もちろん、ベンチプレスなどできる体力などないので、ボクサーがK.O.されて、見事、リングの底に沈み込んだような状態になると表現できようか。もはや、そこまで深い気分の波が沈むのであれば、負けを認めて、早くテンカウントのゴングを聞きたいという気持ちにもなる。これから医学が発展し、このような障害も次々と改善されていくことを望むが、発展する医学の到来を待つよりも、現在の自分の体調を、できるだけキープして「寛解」の状態を目指す方が良い。

祈りを込めて眠る。健常者は、早く床に入って眠りたいと思うところを、薬を飲んでいる人たちは、眠りを導入する薬を服用する。私は、眠る前に、今夜はこの状態で眠れるのかが気になり、中途半端な時間や以異常に早い時間に目が覚めないように祈りを込めて眠る。人間の3大欲求を満たす為に、薬を飲まなければならないというのは、なんとも不自然な感じもする。ただ、この睡眠を満足させられないと、私の病気の症状は、とんでもない波を打ってしまうので、薬を飲まないでグースカ眠れる人のバッシングは、完全スルーの状態にしておくこととしなければならない。

今まで、自分の障害を揶揄する人が確かに存在していた。また、私の障害から引き出せる金品を泥棒のように搾取する人もいた。ただ、私の生障害を心から気にかけ、私を援助してくれる人もいたことも事実。心の奥底では、何を考えているのかを分別するのは難しいが、私を理解しようと積極的に思っている人が、確かに存在することを忘れない。自分を自分の造った殻に閉じ込めることなく。人との繋がりにかけていった方がいい。そうすることによって、自分の存在が価値あるものとして、自分の潜在意識が輝き始めるはず。私には、そのような「祈願」が必要なのだと考えている。

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