思考力

迎えた助っ人へ丸投げ

不健康極まりない眠り方をした。とにかくできるだけ、カレー専門店の大盛りカレーを腹に流し込み、そこから誘発された眠気を利用しながら、風呂にも入らずに寝落ちした。とりあえず寝付くことは容易だったが、やはり身体は自分の消化器官を働かせていたわけなので、6機間程度の短い眠りだったし、何よりもまだ日が昇っていない朝の4時だ。こんな朝っぱらからの早々に、電動歯ブラシを使って歯を磨き、コーヒーを入れ、ひげを剃る。まさに全自動の時代の進歩を活用した芸当をこなしていた。あとは、マットレスを上げて、それなりに明るくなったらルンバを作動させよう。それで、一連の朝の仕事は終わりとなる。進化した文明の力というのは、精神的負担を軽くしてくれるので、本当に助かっている。

昨日、帰宅するなり、車のキーを限界のさらに入れてしまおうとしたのだけれど、その時にジャケットを落としてしまった。足元には玄関に飾っていた観葉植物があったのだが、たかだかジャケットの重みだけで、茎が折れてしまったのだ。しっかりと育っていた鉢だったので、自分としては大きなショックだったし、それでいて一気にその鉢の植物に愛着が湧かなくなってしまったのも事実だ。自分は新品と傷のないものしか受け入れられないのだろうかと思うと、ずる賢く図々しい、しかもわがままな人間なのだと感じてしまう。修理して使うという概念が欠如してる。

昨日の朝は、フライングブログを書いていたので、それとは違う生産的なことをしようと思ったのだが、自分にとってのそれというのは、やはり溜め込んでしまっていた本を読むということだった。溜め込んだ本をもう一度気持ちを入れ替えて読むという行為は、昨日の記事を読んでもらえば、なかなか勇気がいる行動であると思っていたが、いざ読んでしまえば気持ちが乗ってくることがわかり、このような読書習慣は自分の中に取り入れるべき大切な行動であろうと思う。

さらに昨日は、その前の日に一気に火がついた「サーフィン熱」を確認するために、海へと向かった。二箇所のサーフショップに行ってみたのだが、やはりそこに並んでいる中古の板は、それぞれの特性があって、みていて飽きることがなかった。一通りの駐車場へ車を停め、そこでスケボーをやっていると、やはり気持ちは昂ってくる。すると、私の板を削ってくれたシェイパーと全く同じ板を持っていたサーファーを見かけ、思わず声をかけてみたのだが、なかなか好反応ではなかったし、愛想のいい反応とも言えなかった。

やはり、波乗りを通しての人間関係の構築というのは、結構難しいと感じた。もちろん、一人で行うスポーツであるのだから、人間関係ということからは解放されているはずなのだが、いきなり話しかけてしまったこととは言えど、あまりコミュニケーションをとったというのに、気乗りしてもらえなかった人と気持ちの良いサーフィンをすることは難しい。ただ、波乗りは出会いを重んじることでもないのだから、そこを理由に気持ちが萎えてしまうのであれば、それはやりたくないという気持ちが先走っているだけの言い訳になってしまう。

今、ルンバが掃除を終え、床に置いてある荷物を再び床に下ろす。茎の折れてしまった観葉植物の様子は痛々しいけれど、これを修復するために、ホームセンターの専門コーナーで、ケアの仕方を教わろう。こう考えると、もはや生身の人間とコミュニケーションを取らずとも、一人で十分に生活していくということは可能なのだ。とてもめんどくさい人間関係から解放されるのであれば、やはり自分の身の回りをシンプルな状態にし、そしてそのような環境の中で思考をクリアにしていくことという姿勢は、自分にとって何よりも大切なことになるのかもしれない。

チャットGTP。株式投資。AIを活用したQOL向上。車の安全装備。今の自分にとって、これらはかけがえのない存在であると言えど、まだまだフル活用とは程遠い状態だ。どんなに小さな行動であっても、言い方を変えれば、どう考えても手動や目視、自分の感覚的に行えることであっても、できるだけ機械と共存する為に、積極的に細かい仕事もメカにやってもらうという姿勢を作っていったほうがいい。そのような心がけを通してこそ、自分の中のインターネットを超える発明であるAIとの共存なのだろうと思う。そう考えられて、尚且つ自分が極力動かないでできる仕事を、誰かに一任してしまうことが、心身に負担をかけない生き方だと言える。その秘書的な手伝いをAIに任せられる時代が到来しているのである。

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