思考力

価値を内で持つ

他人の評価を気にしてしまう。これは、どのような人であれ、心の奥底で行っている思考法なのかもしれない。評価軸を、他人に合わせてしまうという。これは、自分の人生に対して、自分が主体的に生きられていないわけだから、極論すれば、自分の心に嘘をついて生きていることになる。長期間この同じ圧迫されるような状態でいると、人は「うつ病」をはじめとする、現代病とも呼ばれる様々な病気のトリガーを引くことになる。全ての悩みは人間関係から生まれるなんていう趣旨の書籍が、大ベストセラーになっている昨今、この人生の価値基準を自分の中で決められるようにするには、どうしたら良いものだろうか。

もちろん、今考えて、ああそうかと納得できるような簡単な問題ではない。他人の評価を気にするというのは、ある意味では、人間だけに与えられた特権的評価基準であり、これがなければ人間と定義するのも怪しくなってくる。だから、極力、自分の中の指針をブラさないようにすることは何なのかを考えなければならない。人をこき下ろすような人間にならないためにも、自分の中にあるピュアなハートをキープするのは、とても難しいながら、極めて重要なことであろう。

そのように自分の価値基準を正しい状態で維持するためには、やはり経験という年輪が必要である。ただ闇雲に自分のことばかりを考えるようになるのは、自分の自由な発想ではなく、自分勝手な欲望である。自分の価値観が、しっかりと自分の中で芽生え、育っているということを実感するためには、人生経験は不可欠であり、様々なシチュエーションで、自己と他者の関わりを経験していかねばならない。そのようにして確立された自分の中に、強運を呼び込む器が広がったり、何かに取り掛かるためのモチベーションの初動が早くなったりするのだと思う。

そして、今挙げた二つの要素が高くなればなるほど、無意識のうちにコミュニケーション能力も高くなり、人生そのものが豊かになっていくはずだ。私は、そのような貴重な能力を身につけるには、まだまだ先のことになるのであろうが、千葉に4年ほど住んでみて、やっと自己の判断基準を明確にすることや、それが他者との関係においてのみ成り立つのだということを、とてもよく理解できるようになった。

やはり、住む場所を変えることで見えることというのは多くあり、この外房の海にほど近い場所で得られたことの大きさには、感謝の念が絶えない。まだまだ、中年親父が勉強することは多くありそうだ。

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