思考力

同じ呼ばれ方

教養を深めるための動画を観なくなってしまった。そのような動画を、毎日食い入るように閲覧することは、自分の人生をより良い方向へと導くための導火線だと思っていた。実際、金融に関する知識も豊富になったり、食や睡眠などの健康に関する知識も深くなったりしていた。ただ、そんな喜ばしい習慣を壊すほどの強いインパクトを持つ気持ちの塞ぎ方に押しつぶされているのが、今の現状である。まだ、こうやってブログをかけているだけマシではあるが。

こうやって、自分の気分の波に合わせて生活をカスタマイズできる自分は、まだまだマシな方で、塾講師と同じく「先生」と呼ばれる学校教員にでもなっていたら、私は3ヶ月ももたずに辞めてしまっていただろう。学校現場というのは、私のような打たれ弱い人間だけではなく、普通かそれ以上の強い精神的なタフさを持っている人であっても離職する人が多い業界である。実際、今、教員を目指す人も少なくなり、どこの現場でも人手不足だということだ。

確かに、生徒より前に学校に来て、生徒より遅く学校を出る。そして、日曜日は部活の試合でもあろうものなら、プライベートの時間などない。これは、確信的ブラック職業である。では、ブラックでもマトモに仕事をしている教員もいるわけなのだが、そのような人の中で、いわば「窓際係長」のような存在もきっといるはずである。めんどくさいことなどせず、とっとと下校時間に帰っていく。それは私には考えられない働き方ではあるが、それでもやはり、それはそれで労働基準的には問題ないし、むしろそれが本来の仕事のあり方なのだと思う。

ただ、私が思うのには少しずれていて、やはり、人の人生を預かる仕事なのであれば、やはりシッカリと生徒の教育をすべきであり、その教育に注ぐ時間というのは、先生の力量に比例するように感じる。情熱こそ才能であり、時間的な面においても、強く学校に拘束されることというのは、ある意味では仕方のないことだと思う。そのような考えから、私は、学校の教員にはなれないし、学校の教員を心から尊敬する。

どんな職業であれ、自分の得手不得手があるわけで、そこを補い合うことが世界の潤滑を良くするのであると考えている。人は一人では決して生きられない。そんな中、自分が心から尊敬する職業が、自分と同類の教育分野でありながら、自分が決してできない仕事なのだと気付けることは、素晴らしいと思える。謙虚な気持ちも入りつつ、やはり、その気持ちに嘘偽りはない。これは、今後のブログで書こうと思っていることなのだが、授業が終わって5分程度で授業報告書を書き上げて、とっとと帰ってしまう塾講師のバイトをしている熱心さがない講師たちには、正直、塾業界には来て欲しくないと思っている。

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