思考力

遠くからの共鳴音

なんら焦っていたわけでもないのだけれども、今朝は、中古品としてスケボーを売却しにいくことを一番に考えていたので、ブログを書かないで車に乗り込んでいたようだ。とはいえ、しっかりとルンバを作動させたし、コーヒーも飲んでいたし、トイレも玄関も、しっかりと掃除していた。それでも記事を書かなかったということは、スケボーを売却するということの他に、もう一つ別の要素が加わって、家を出ることになったのだが、もしかして、記事を作成して運転をしていたら、大きな事故を起こしていたのかもしれない。

そういえば、先日、東京へ行くときに、新しい駐車場ができていて、そこに車を停めようとしたときに、自転車に乗った老人を、思いっきり巻き込んで左折しそうになった。それを、主治医に相談したら、薬がかなり多くなったので、それが影響して、今朝の記事作成を忘れるということに起因したのかもしれない。そんなわけで、さらに一台のスケボーと別れたので、なんのこともなく南へ向かい、昨日と同じ場所で、スケボーをすることとなった。

正確にいうと、すぐにスケボーができる海岸で、板を蹴っていたのだけれども、あまりにも強風すぎて、追い風の時は板が勝手に進み、向かい風の時には、どんなに板を蹴っても前進できないほどの強風だった。だから、どんどん南下して、結局いつもの駐車場に行ったというわけだった。それでも、もはや車から降りることもない強風が吹いていて、停車した車の中でも、車体そのものが揺れるような状態。そそくさと家路について、自炊した料理を解凍して食べ、朝に引き続き、帰宅してからも、玄関とトイレの掃除をしていた。

やはり、こんなに当たり前になった習慣が、もはや三年以上継続しているブログ作成の習慣を超えるとは思ってもいなかった。今、夜10時を回ったところだし、もう軽い眠気も来ていたので、そのまま眠ってしまおうかという気持ちもあったのだけれども、明らかに自分の中の「軸」のような確たるものが萎れてしまうような気持ちがして、パソコンの電源を入れて、記事を書いているというわけだ。

ただ、一つだけ確かなことは、書いたブログをYouTubeに動画として投稿する時に、オリジナルでサムネイル を作るということを考え、それを少しできていたし、さらに「Instagram」も同時並行で行おうとしていたので、自分の中で負荷が強くなるという気配は感じていた。だから、今後、毎日ブログを書くという頻度は減らし、サムネイルとインスタを作成した日は、ブログは書かず、ブログを書いた日は、インスタとサムネイル 作成は休むというようなローテーションを作ろうとしていたのは確かだった。

そのようなプランを練っている最中に、今日は、ブログも書いていないし、サムネイルも作っていない。さらに、自分がかつて作っていたインスタのアカウントが、まだ存在しているのかどうかを確認すらしていなかった。これでは、自分の怠惰な気持ちや姿勢を、悪い意味で肯定してしまうことにもなりかねない。だから、今日はしっかりと記事を作成している自分は、とても優秀なのだと、自分を褒め称えてあげよう。ただ、この記事作成は問題なくできるのだが、動画としてアップロードする時には、まだまだ自分が使用しているシステムアプリケーションの動作が遅く、なかなか音声に変換されないことが多く、ストレスフルな状態だ。ただ、この問題だって、時間の流れで、いつかは一瞬で音声認識されるようになるだろうし、そもそも、AIに全てを委ねられる時代だってくる。というか、そのようなAIの恩恵を、しっかりと享受して生活している人が、どんどん増えてきている。

資本主義の世の中では、資本家側が、労働者から利益を搾取する。AIの時代であれば、それを使いこなせる人、もしくは、それを作成できる人と、使われるだけの人とで、格差がどんどん広がってくる。これは、否定できない現実であり、真実でもある。自分が作り上げてきた、三年以上継続したブログに、何かが火種となって燃え盛る時が来る。それを信じながら、ずっと記事を発信していく。その方法を、どんどん模索していって、いつか自分の文章が、そのまま自分を救ってくれるような「救世主(メシア)」になってくれることを、強く望んでいる。

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