思考力

花に乗せた音声を届ける

ありがたいことに、私のTwitterに「いいね」をつけてくれる方が増えてきた。“ハッシュタグ#ブログ初心者”と最後に付け加え始めてから、応援してくださる方々が現れてくれたことに感謝し、SNS上であっても初心者に優しい方や、温かく自分のツイートをご覧になってくださる方がいることは、何よりの支え。昨今のインターネット上の誹謗中傷が加速している中、やはり心ある方がいることも事実なのだと安心する。特に、ブロガーの方々は、言葉の大切さを理解していらっしゃる方が多いようで、とてもマナーが良く、ツイートしている内容も良質なことが多いので、私がフォローさせていただき、参考にさせて頂くことも多い。この場を借りて、感謝したいと思う。ありがとうございます。

最近は、ブログを書くことが習慣化し、毎日更新をしているのだが、何を書こうかと悩むことはなく、とても楽しくブログを更新している。昨年の今頃の「直前授業」のドタバタに比べれば、全く比較にならないほど空気がゆったりとしているが、思考停止しているというわけではない。むしろ昨年の「受験ドタバタ期」では、自分がどこのクラスで何を喋っているのかも分からず、出された授業指示書で教室番号を確認し、その日のカリキュラムを即興で授業している状態。これこそ「思考停止」だ。授業中に、フッと幽体離脱のような感覚に襲われ、自分が夢の中で喋っているような状態。あとから生徒に様子を訊くと、「酔っ払っているようでした」という回答。まぁ、意識がほとんど飛んでいても授業がこなせるほどの力量は、十分備わっていると思えばいい。

私は現在、TwitterとBlogの他に“YouTube”も併行して発信している。何気に、思考力養成予備校として一番早く始めたSNSの発信は、“YouTube”だ。初期のYouTubeでは、初見の問題を空手で解く、以前ブログでも書いた「Live授業」を自宅で撮影するという企画だった。初期投資ゼロ。薬箱の上に乗せたiPadを胸に挟んだ状態で、それを抱きかかえるような体勢で、自分の視点がまさにテスト用紙を見ているという臨場感を演出しての撮影だった。これは結構大変で、問題を解きながら自分の肘で死角になった部分を脇の下から覗き込むような体勢になったり、いきなりiPadが落下して悲鳴が入った状態でアップロードした動画もある。後に「書画カメラ」という私の未知のアイテムがこの世に存在することを知り、オンライン初となる仕事を引き受けた際に欠かせないアイテムとなった。その未知なるアイテムを駆使して、zoomでやりとりをしていた帰国生の「大学志望理由書作成」の手伝いを容量良くこなしていた。残念ながら、その会社の経費にはならず、自腹になったとはいえ、いい買い物だった。今後も、他ならぬ自社の撮影機材として積極的に使用していく。

ご存知の方もいるかもしれないが、私の最近のYouTube動画は、音声のみの動画になっている。かつては、三脚やホワイトボードを使用して、2時間撮影した動画を、10分に編集するなどしていたが、全く視聴回数が伸びなかった経験がある。しかしながら、英検の本物の解答用紙をスクリーンショットした画像を“Apple Pencil”で解説する動画が伸びていたこともあった。それを“Live解説”していたら、英検協会の方から著作権侵害のクレームが来て削除した経験もある。そのままの画像を使えば、確かに怒られるか。とはいえ、問題をタイピングしていたら、初見の状態ではない「イカサマ動画」としてBANされてしまう。ただ、再生回数1,000回を超えていた動画もあったので、かなり気持ちは萎えていた。

今の私のYouTubeチャンネルは、再生回数2回程度の動画が続いている。「いいね」の数は「1」。ご察しの通り、犯人は、私。なぜ、こんなにも虚しい動画のアップロードが続いているのかと言えば、寝る前に自分のBlog記事の読み上げ動画を聴き、自分を内反する機会を設け、自分の存在を確かめたいからだ。「ドタバタ期」のような、幽体離脱したくはない。当初、噛み噛みで聴くに耐えない音声でも、多少はマシになっている。また、一発撮りなので、緊張を味方につけて、力尽くでも話続ける体力もついた。同じ表現であっても、微妙なパラフレーズで、意識的に話のメリハリをつける。ブログと決定的に違う点は“delete Key”が無いということ。つまずいたら戻れない。一発撮りならば、無音区間が長くなっても落ち着いて対処する術を、一瞬で考えなければならない。このような難しさの中に「面白さ」も感じつつある。やはり、興味関心が芽生えてくると、これまた「習慣化」の契機となり得る。

でも、いつか緊張の糸がプツリと切れて終わりそうだ。今日、コロナの影響で面会できない母親の病院に、事務的な手続きをしにいく車の中で、そんな事をぼんやりと考えていた。すると、頭を閃光のような物が走り、車中で「コレだ!」と叫んだ。誰も聴くことはないかもしれないYouTubeの音声を、もうリアルで会うことはできなくなってしまった母の病室に届けよう。コレだ、コレ。

ただ、病院ではWi-Fiを接続することもできないし、タブレットの操作をするはずの母の手は、震えていて使えない。だったら「ICレコーダー」に録音すればいい。そうだ!すごいアイディア!老人介護施設にいた頃、目が霞んでいて、文字も見えにくく、テレビを観るのも苦しいと言っていた。今は、zoomで面会するという病院のルールの中、たった2週間に5分だけしか面会ができない。母も、看護師たちが持ってくる、よく分からない大きな板チョコのような中で、私が話をしているということがよく理解できておらず、病院の受付のビデオカメラか何かで撮影していると思い込んでいる。「もう来んでいいよ。もう来んでいいから」。真っ白な髪の毛になった母が、パソコンの画面でしゃべりかけてくる。自宅から話をしているということが、理解できていない。ただ、5分間の面会の間、ずっと泣くのをこらえているのはいるのは伝わっているのだろうか。zoomを退室してから、いつも机に突っ伏して泣いている。やはり、母のことだ。きっと気づいている。

MacBookに、ボタボタ涙が落ちてしまっているので、今回のブログは、ここで終わりにしよう。

-思考力