思考力

背中を押す文字群

なかなかどうして、このようなブログ記事も、どこで見られているかはわからないもの。だから、中途半端に記事を書き溜めていることは、あまり言わない方がいいのかもしれない。とはいえ、自分の文章を読んだ人が、なんらかの称賛の声をかけてくれるのは、とても喜ばしいことであり、それは最も書いていて良かったと感じる時でもある。だから、各内容にさえ気をつければ、何を表現することだってできるはず。表現の自由なんて言葉があれど、表現を自分勝手に作り上げるのは良くない。あくまでも、人目に触れるSNS上だということを忘れてはならない。

そんなこんなで、最近書いている記事を読んだという知らせがきた2月上旬。「書く」という行為のリフレッシュとして、水泳で1ヶ月間鍛えた身体を使い、サーフィンをしたいところだが、何せここまで寒い真冬の海に突っ込めるほど若くはない。いや、若さというよりやる気がないのだ。思えば、昨年の11月に意図せぬウェットの破損が出て海に入れなくなって以来、急に食欲が増え、一気に太り出した。それを改善しようとするのに始めた水泳。そんなこんなで始めた今、まさに水泳に夢中である。まさに、泳いでいる時の高揚感と多幸感は素晴らしい。まるで水の中で溶けてしまいそうである。

そんな空を掻き分けているいるような状態でふと考える「許す」ということ。それは、積極的に苦しみを与えた者に近づき、わざわざ許してやることではない。むしろ、そんな怒りの状態や、怒りの対象人物からも、どんどん離れていき、もう報復など考えないという気持ちを持つということが大切だ。それこそが、まさに本当に許すということに繋がるのではなかろうか。水泳だろうが、走ることであろうが、絵を描くことであろうが、音楽を作っている時であろうが、自分の中でフワッと軽くなる瞬間。そんな真っ白にホワイトアウトした瞬間に浸れた時に、人は、誰かを、何かを許すことができるのであると私は思っている。

いろいろな健康法があり、いろいろな精神的に楽になるノウハウが書かれた本があれど、やはり、対処療法的なことで終わることが多い。誰かに救いを求めているということは、その時点で自分の中では、その何かに対してある程度の答えは出ているのであり、その答えを向かい入れるための背中を押してもらいたいだけなのかもしれない。やはり、悩み相談というのは最終的には、自己完結するものであると思う。そして、そんな悩みを削ぎ落とすきっかけになるようなブログを、ずっと描き続けたいと思っている。

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