思考力

仏になる

昨日、車を運転していると、意図的なのかは知らぬが、大きな駐車場から突然、私の車の前に割り込んできた車があった。もし、私がブレーキを踏むのが多少遅れでもしたら、衝突は免れなかったはず。思いっきりクラクションを鳴らしたにも関わらず、その車は、何の気なしに私の前で走っている。さすがに、私は、次の赤信号で車から降りて文句の一つでも言ってやりたかったのだが、どんな輩が出てくるやも分からず、そのまま放置して見逃してやるような形となった。

このようなことが起こると、それからのスケジュールなど台無しになるほど悪い余韻が残るわけで、私はそのまま家路につき、その不愉快なことを忘れるが如く、とっとと寝てしまった。おかげさまで、今目覚めたのは、深夜2時である。生活リズムもへったくれもない。ただ、そのような輩の運転や、その後の態度などを引きずっていても面白いことなどないに決まっているので、このことをテーマに考えて今回の記事を書き進めていこうと思う。だから、ここまで私の愚痴に付き合ってくれた読者の方には感謝の意を捧げたい。

さて、日常生活のどのような場面でも構わないが、仮に自分が、意図的ではないにせよ、不注意を起こし、相手に傷を負わせるようなことをしてしまったのならどうしようか。逆に、仮に相手が不本意ながら、こちらを傷つけ、クラクションを鳴らすように文句を言ったのに、全く反応しなかったのなら、どのように対応すれば良いのだろうか。いずれの場合にせよ、事故そのものは起こらなかったのだから、それで良いと言えば良いのかもしれないが、お互いが不愉快な思いをしたことには変わりはなく、それによってしばらくは不機嫌な状態に陥るのは間違いない。

また、車同士の小競り合いでは、相手がどのような人物であるかは分からない。車種で、明らかに危険な輩であるかはなんとなく理解できつつも、普通の自動車であっても、見知らぬ相手に文句を言うというのは、相手の素性も知らないのだから、なかなか難しい。まさに、喧嘩をしたくてウズウズしているような相手の煽り運転から逃げることなく、真正面から立ち向かえば、負わなくても良い怪我を負う可能性だってある。やはり、こう考えると、こちらの存在に気付いていない相手に対して、せめてクラクションを鳴らして危険を回避するしか方法はない。また、このようなクラクションであれ、気にくわぬと言わんばかりに逆上してくる輩もいる。

なかなか自動車を運転するのと同じく、日常生活でマナーの悪いニンゲンに注意をするのは難しい。とはいえ、自分の存在をアピールしなければ、避けられたはずのアクシデントに巻き込まれ、被害が大きくなってしまう可能性だって出てきてしまう。このような問題に対応することは、とても難しいと私は感じてしまう。HSPの塊のような私は、昨日の一件で、とりあえず思い切りクラクションを鳴らせただけで成長したのだといえる。また、わざわざ車から出ていくなどという愚行を起こさず、事故が起こらなかったのだからいいと割り切ることも正解だったのだと思う。

やはり、何事においても瞬時の判断が必要であるケースが多く、また、相手の過失に対して、寛容になることも同じくらい大切である。さらに、「謝る」という人間として当たり前のことすらできない者は、その後の人生でロクなことはない。まぁ、人を呪えば穴二つというくらいだから、わざわざ相手のことを恨み続けても面白いことはない。事故が起こらなかったのであれば、これをひとつの自分を成長させてくれた経験だと思い、同じようなケースで、さらにスマートな回避の仕方を学んだと納得しようではないか。

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