例えば、自分自身が古ぼけていて、壊れかかっているピアノで練習していたとする。そして、自分の唯一の時間潰しが、そのピアノで練習することだけだったとする。そんな日々を半年、一年、何年と続いていて、あるとき新品の綺麗なピアノで演奏に参加する機会を得たとしよう。そのとき、仮にリハーサルをしなかったとしても、そのハンデあるピアノで練習した人の精神が安定していて、いつもの通りの技量で演奏したとするのであれば、その人の技術というのは、ハンデを乗り越えた状態の領域にある上級者レベルか、そのハンデを乗り越えた名曲者として演奏が可能となることだろう。
今日、いつも通り海岸線でスケボーの練習をしに行ったのだが、あいにく小雨や霧雨混じりの寒い天候で、もちろん路面も濡れていた。これを果たして「ハンデ」と取るだけにするべきなのかを考えてみた。路面が濡れているということは、そのままタイヤが横滑りする危険な状態と隣り合わせであり、練習には不適だと思われる。ただ、最近では、自分の使用している「暴れん坊」の板を乗りこなしている海外のスケーターやサーファーの動画の中の動きを、穴の開くほど見つめていて、自分の中の技量と決定的に相違があるところといえば、「スライド感」だということには気づきつつあった。
スライド。これは、乾いた路面では、脚力や柔軟性を必要とする動きだが、路面が濡れている状態であれば、軽く踏み込んだだけでタイヤが横滑りしてくれるので、板が軽い圧力をかけただけで横滑りしてくれた。まさに、「スライド」したのだった。最初に述べた「ピアノ」の例のようなドラマチックなことではないのだけれども、与えられた状況が芳しくないのであっても、そこをなんとか利用しようという気持ちはとても大切であり、そこから発見することも、とても多い。そんなことを考えられる練習ができた。寒くて、雨の中だったから、長くは滑れなかったのだけれども、そのような発見があると、時間の長い短いというのは、それほど問題ではなく、次回の練習の時に体のしならせ方や、板の蹴り込み方の課題を見つけやすくなる。継続していることの中で、思わぬアクシデントがあることで、それが刺激となり、さらに奥へと進んでいけるきっかけを掴むことができる。これは、人生という道のりの中でも、十分に同じことが言えるのではないだろうか。
ここ数日、マッチングアプリの通話機能を使っている。19時から24時までは、相手が見つかれば、「5分間」という縛りの中で、近い年齢の人と通話をすることができる。一日一回までは無料のシステムなので、夜な夜なそのシステムを利用しているのだが、やはり同じように考えている人は多くいるようで、全く電話がつながらない。ネット証券の開き方が分からず、コールセンターに電話をかけて、ほとんど「1」から説明を受けているような人が多すぎて、コールセンターもパンク寸前のようだが、まさにそれと同じような混雑みたいだ。それに、制限時間5分だけというのも、かなり強い縛りではある。
6人くらいだったか、実際に通話をすることができた女性がいたのだけれども、とにかく向こうが焦りまくって大伯情報をこちらに投げつけるような人もいたし、ずっと人間の価値というのは数字では測れないと言って自分の考えをゴリ押ししたりする人もいたけれども、やはり5分間という短い時間内であっても、お互いが落ち着いて会話をし、楽しい時間をシェアできた人も数人いて、いつもムスッとしている夜の時間帯に、ささやかな楽しみを見つけることもできている。そこからマッチングするのかといえばそうでもないし、その会話を楽しめた人の詳細のプロフィールがわからないのだから、次に会うのは、「来世」になってしまうこともある。それならそれで仕方のないことだけれども、この時間は、お互いの声でコミュニケーションを取るという固定電話時代の甘い記憶が蘇ることもある。
人は、年齢を重ねるごとに、肉体的にはどんどん衰えていく。科学的には、17歳がピークだったようだ。ただ、人間の器というのは、17歳までに基盤が整ったということを前提に、その上や横に広く大きく成長していく。これは、今、中年を迎えている自分が、ひしひしと感じていることでもある。今の感覚は、過去のあの時が基盤となっている。そう考えると、今の発見が、これから迎える時間の中で生きてくる可能性だって十分あるはずだ。だからこそ、自分の可能性を、年齢だけの尺度で捉えるのは良くない。スケボー でターンをしている。もう、無意識のうちに板は加速していく。ここまでできるようになったのも、過去の自分が何回も失敗し、二桁以上は骨折していることまでもが礎となっているのだ。過去の記憶を受け取った、現在の自分が、どのような自分と出会えるのかというのは、今の興味関心をどのように捉え続けられるかということに、強く依存しているのだと信じている。