思考力

多方向ナビゲーションシステム

 

なかなか厳しい毎日である。やはり、気温が一気に下がり、それと同調するかの如く、精神的にも下落してしまった。予想より深い谷に落ちた。ただ、せめてもの救いとして、自分が会社員のように、こんなにも寒い中、強制的に出社させられることがない幸運には感謝している。でも、よくよく考えてみれば、ある程度の強制力が働かなければ、決まった時間に自力で起きるという離れ技は、私の人生では、もはや難しい妙技なのかもしれない。コロナ後の新しい世界でチャンスを掴むために、思考を止めることなく「未来」について熟考し、行動をしなければならない。

成功する人としない人との差異を考えるうえで、何が決定的に違うのかというのを一概に定義することはできない。ただ、その両者の隔てには、一種の素直さも関連してくる。例えば、教わる側が教える側に対して猜疑心の塊のような態度でい続けるのであれば、教わる側の伸び代が広がることはないはずだ。つまり、本来、先生から教授されるはずの「チャンス」を、その教え子は自ら逃しているだけだ。あくまでも、何かに精通した人の意見や考えというのを受け採ろうとする場合、それを受け採る側は、教える側の考えを真摯に手に容れるべきであり、まずそれができるような「素直さ」を身につけることから始めなければならない。思考力を柔軟にするためには、一度だけ今までのこだわりを「白紙」にする努力を学ぶべきだ。

AIが、多くの人間の仕事を代替する時代がやってきた。そのような時代の到来に対して、人間側ができることといえば、自分なりの価値観を自分なりに構築し、様々な人の生き方や意見に学ぶことが重要になってくる。他人と干渉し合わないで独力で目標を完遂するという考えも大事だが、そのようなタスクの追求の姿勢の先には、単調な動きか孤独な作業しか待っていないことが多く、気づかぬ間に、その抜け穴にAIが侵入してくることがあるかもしれない。それでは、我々は、いかにして人間らしい仕事や、人間らしい思考力を保つべきなのだろうか。

やはり、自分と同じ価値観を持っている人との考えの共有は、この混沌とした社会では大切である。孤高の鷹のような生き方で得られる価値観には、必ず偏りが出てくるもので、それが良い偏りである場合は少ない。だから、インフルエンサーに自分から心をピュアな状態にして絡んでいくことや、自分より若い人に対して「老害」になることなく、そこから学ぶ機会を作ることも大切だ。今の私には難しいことではあるが、他人を許せる人間になるというシンプルさを持つことも重要なのかもしれない。

他者の考えを摂り容れること。それは、右へならえというわけではなく、人の話を集中して聞きつつ、自分の考えの鏡として反射させる。そしてそこの心のスクリーンに映し出された映像を、客観的に視つつ、未来の自分の行動のナビゲーションにする。ネガティブになりすぎることなく、逆に無批判に誰かの考えを盲信することなく、客観的に本質を見抜こうとするような「学ぶ癖」を身につけるべきだ。物も人間関係も、シンプルで少ない方がいい。ただ、残された物や断ち切れない人間関係の中から、自分なりの価値基準で自分をより良く磨けるような生き方を学ぶ。詩文は、常にそのような存在でありたいと思っている。

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