思考力

ARTificial

 

昨日は、精神的にかなりしんどく、夜中に車を飛ばして温泉へ向かった。鬱状態になったら気分転換に温泉がいいと聞いていたし、自分もそうすることが心身ともにいいことを知っていた。ところがどっこい、いざ海岸沿いの巨大温泉施設を目の前にしたら、何やら元を取らなければ帰れないという責任感が芽生え、それが大きなストレスとなって、トンボ返りで帰路についた。しかも、帰りに大盛りのラーメンを喰らうという有り様。もはや、三日坊主となったダイエットであり、一晩明けた今さっきであっても、大盛り豚骨ラーメンを胃の中にぶち込んだ次第である。

とはいえ、サウナと温泉風呂に入らずとも、なかなか気分は上向いてきたようで、最近ハマっている夜釣りに行きたいというモチベーションが、生きる糧となっている。刺激がない生活の中では、やはり、小さなイベントでも大きな喜びとなるようだ。自然の中で癒されるというのは、生き物である我々人類にとって欠かせないことであり、コンクリートジャングルなどは、地球の歴史から考えたら、瞬きのような瞬間に大きな蜂が目蓋に入り込んだようなもの。そんな情けないことに人類全体が気づくのが遅れたら困るので、私は早めに自然の恵みと癒しを享受しようと思う。

私の心が、自然と共にあることを願っているというのは、落ち着いて考えると、とても美しいことである。朝起きてからのルーティンワークとしてのブログもいいが、それを一つ前の日の夜に書き上げてしまい、早朝には車のキーを持って海へ向かう生活も素晴らしい。これは、外房ライフの特権であり、今のところ、塾講師として大きな黒い企業でこき使われていた頃とは比較にならないほどの自由を得られている私の贅沢な時間の使い方である。脳のどこかで求めている本能を満たしているようで、仮にベーシックインカムと生活保護を来年から全国民が受け取れることになったら、私の自由な生活の時間は、ますます充実する。

でも、やはり税金に頼るばかりを考えることなく、自分で不労所得を得ることを考えれば、やはり次のSNSは何がくるのかとか、来年こそYouTubeで1発当てようとかを考えることになる。私は、自分を貧乏人だと感じることはあれど、敗者だとは思ってもいない。勝ち組負け組という括りを取り外してしまえば、今の金融資産などは、成功の尺度とは関係ない。そもそも、このようなお金を基準とした価値観も大切だと認識したうえで、人間としてさらに価値が高いことを、自分の中で見つけて培っていく生き方が大切ではないだろうか。

ドラマの感動ゴールシーンをまとめて観れば、なかなか都合の良い感動に溢れるのだろうが、自分の人生という括りのなかの感動というものを探していかなければならない。特に、このような機械に先導されつつあるような時代では。スマホを折り畳めるかを考えるのではなく、スマホの情報処理スピードを上げることを考える時代であり、もはや、デバイスの形は変えられずとも、中身の速度の変化を求められるという時代。何事も効率化されていくことは間違いない。ここに、逆転のチャンスがあるのではないだろうか。

何事も後回しにしてしまう人の特徴は、意志の問題ではなく、結局は時代の流れを俯瞰してみることを諦めた人なのだ。やはり、私の中で考える最優先になることは、自然に帰るという発想ではなく、失われつつある自然を掴むことが最も先をいくスタイルなのだということだ。そして、その掴んだものが、ナチュラルであり、そこにアートが見つけられれば、アーティフィシャルという英語の訳語も随分と変化するのかもしれない。

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