思考力

目覚めない

昨日から今朝にかけての睡眠は、私の双極性障害の波のように波状の線を大きく描いていた。飲んでいる薬を、日没と共に服用したので、深夜に目が覚め、その後は3時間程度の間隔であろうか、薄っすらと目が覚めて深い眠りに後退しての繰り返しで、今は朝の8時。ただ、布団の中の気持ち良さにはなかなか離れられず、毛布の中で1時間はヌクヌクとしていた。その時に、今日のブログのネタは、かなり思いついていたのだが、口の中の不快感を取るために歯磨きをしている頃には、何の話題を書こうかということも忘れていた。ただ、夜中に夢の中で、亡き父の声で、「マサ」と声をかけられたのは、確かなことである。

いつもの目覚めのコーヒーは、飲んでいない。もう一度、眠気が来るのを待ちたいのだ。世間では、今日から3連休らしく、私のような万年休日の人間とは違って、仕事始めの疲れから解放され、会社勤めの人たちなどは、大いにリラックスできているはずだ。部屋の窓を開けて駐車場を見ると、いつもは仕事に出ているはずの車が二台残っていて、残りの三台は無い。寝坊を許された前者とレジャーを楽しむ後者といったところだろうか。なぜか路面が広く濡れていた。雨が降ったのだろう。週末の寒波は厳しいというニュースは知っている。確かに、とても冷えている。

月末まで、あと1万円程度で生きなければならない状態だ。こちらも厳しい。このコロナ禍で、ホームレス等の炊き出しに並ぶ人も変化しつつあるようで、住む家はあれど、食費を賄えない困窮者が増えているそうだ。ここで、私の乏しい知識を披露して、私などの記事を読んでくれている人へ政治の話題をしても意味はない。それに、私だって苦しいなんていう愚痴をこぼしても仕方あるまい。では、このような押しても引いてもビクともしない世界情勢に対して、私のような生活困窮者は、一体何をすればいいのだろうか。

私の場合は、寝ること。一見するととんでもないことのように思えるだろうが、私が患っている双極性障害の下の波に入ってしまったのであれば、寝るという対処法が、ある意味で一番の薬になるようだ。昨日の夜、訳のわからない身体の中からの震えが止まらなくなったが、それも今朝のような、長い睡眠を取った後ならば、そんなことを忘れるくらい解消されていた。やはり、きちんとした服薬と睡眠があれば、私の持病というのは寛解の状態を保てるのだ。

困ったら寝る。そんないい加減なことだと思われがちな睡眠だが、この睡眠を大事にできない人の精神は、絶対に蝕まれる。千葉に移住して、会社員時代の頃は、毎回毎回授業で使用するプリント作成に追われていた。誰にも頼まれたわけでもないし、私に力尽くで反抗していた生徒などにはボロクソに言われていたプリント。それでも、休みの日が来れば、ここぞとばかりにプリントを作り続けた。そして、心身ともに力つき、その会社を退社することになった。今考えれば、ブラック企業から抜け出せたことに感謝できる。

もし、このような状態を今でも続けていたのならば、ブラックな状態に対して、痛みを感じなくなるという最悪な状態に陥っているに違いない。そのような意味でも、やはり今の生活を継続することに、誰からも文句を言われたくはない。自分の生き方というのは、最終的には自分が決めることであり、それに文句を言うような輩などは、自分自身の生き方ですら自信を持てないような者であるのだから。

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