思考力

車内の交通事故

 

もはや最近では、「コロナ慣れ」しているという発言も多くなっていたが、「コロナ収束慣れ」が来るのも早かったのかもしれない。トップニュースには、コロナの新規感染者数のニュースが、ちらほらと消え始めている。代わりに話題になっているのは、意図的な事故や、残忍極まりない殺人事件などのネガティブ情報。なんでも、出会って3時間の間に殺害されたという女性がいたというが、その間に、見ず知らずの人の車に乗るという行為そのものに、強い危険を感じなければならない。

とはいえ、私も、元気が良いときは、見知らぬ人に対して気前良くなって、話しかけるような気質というか、病気がある。先日も、あまりにもカッコイイ車があって、そのオーナーに頼んで、助手席に乗せてもらってドライブを楽しんでしまった。一歩間違えたら、出会って30分程度で殺されていた可能性だってある。本当に危険なことをしてしまった。そのような基本的な常識を忘れてしまえば、危険なメッセージをキャッチできず、人生がオジャンになってしまう。

本当に素敵だと感じられる、自分とピッタリと相性の合う異性が、この世にどれだけ存在するのか。かつては、「テレクラ」などという括りで、全く知らない人と出会ったり、インターネットが普及すれば、ネットの「掲示板」での出会いがあったりした。時は流れ、今の時代は、「マッチングアプリ」となった。こう考えると、今も昔も、全く知らない人と連絡を取り合い、勝手にロマンチックな妄想が膨らんでしまう事もある。声や文字だけで、相手を信用してしまうと、相手がポルノ飲み過ぎで狂気に囚われている状態の人かどうかは、全くもって分からない。

ただ、誰かさんのように、独りで、ジャズを聴きながら、カフェの店内で流れる曲を聞いてコーヒーを飲むばかりが美徳とまではいかないし、毎朝、カタカタとマックのキーボードを叩き、黙々とブログを書き綴る事だけがいいとも言えない。どんな人にだって、新しい出会いのチャンスは来るわけで、それを限定することはナンセンスである。あらゆる人も万能な出会いの場を作ることは難しいが、新しい出会いが怖いと感じている人がいるのならば、勝手な妄想や第一印象ばかりで、出会ったばかりの人を盲信し、相手の車に乗るようなことはせずにいれば、どこかで良い出会いのチャンスというのはあるはずだ。

数分で丸暗記できる英語の難単語が無いように、相手のことを、決して一瞬で、相手の素行を判断できるわけはない。今回のブログでは、出会いの場を限定することはせずとも、勝手な思い込みで、相手を信用しすぎることの危険性について述べた。ビフォーコロナでの出会いから、コロナ禍での出会い。そしてアフターコロナでの出会い。これから”5G”を迎えるにあたり、我々の人との出会い方は変われども、そこにはらんでいる危険性についても、今一度考え直しつつ、より良い出会いに期待したいものである。

-思考力