思考力

Chill Out

 

ある意味、全ての物事に言えることだと思うが、フルパワーを駆使しないと、何かを成し遂げることができなくなってしまうのだろうか。スポーツの練習などでよくアドバイスされることとして、監督やコーチから「力を抜け」なんて台詞を聞く。だから、何かを行うということにおいて、フルパワーというのは、案外物事をを進めるときには、成功の妨げになってしまうことが多いのかもしれない。

ヒップホップの用語には、“CHILL OUT”から派生した「チル」を文字った形で、「チルっている」のような遣い方をするようで、「目的はないがくつろぐ」のように用いられるらしい。ちなみに私は、そんな言葉が遣われているのを聞いたことがない。もちろん、張り詰めた緊張状態から疲れを癒すかのごとく、一時的にであれ、まったりと過ごしたい。全てを全力投球するというのは、やはり長い人生のマラソンを短距離走のスピードで駆け抜けるようなものなので、定期的に「チル」を入れることは大切だ。

今、雨が降っている。なかなか鬱屈とするし、千葉に来てから「傘」をいうアイテムを使うことがほとんど無くなったので、ゴミ袋にゴミを突っ込んで、車でゴミ集積所まで行ってゴミ出しをした。ただ、雨の音というのは、眠りから醒めつつあるあるときには、とても心地良いもの。会社員であるのなら、鬱屈とした雨の音と、心地良いリズムを奏でる雨の音という2つの側面で、布団から出ることが億劫になってしまう。私としては、別に、ヒップホップで「チル」するより、自然の音を聴いていた方が、よっぽど落ち着く。

寒い寒い孤独な夜の中で、雪がシンシンと降っているとする。そうなってくると、次の日の外出は、かなり気が引けるものになるのではないだろうか。そんな状態に心を乱されつつも、明くる日に、目が覚めて窓を開け、いつもの景色が雪で覆われていたのなら、やはり“CHILL OUT”ならぬ、“WHITE OUT”の状態へ突入する。私はそんな雪の景色も趣深く感じる。あまりよく分からないが、DJがレコードをクルクル廻しながら、それに合わせて踊ることが「チル」なのであるなら、一人の方がよっぽど気楽に感じる私には、雪の降る景色を観ながら、ゆったりとしたリズムの“リラックスジャズ”を聴きき、肩の力を抜いている方が性に合っている。

どんな生き物であれ、自分の最期の時というのを知ることはできない。『DIE WITH ZERO』という書籍があって、貯めたお金をゼロにして死ぬという、貯めたお金を使いきることができるのであるなら、とても幸せなことだ。もし、余命がピッタリと分かるような時代が来るのなら、インデックス投資で増やした資産を、最期の日に合わせて使い切ることを考えるだろうし、もうお金を積み立てて増やすという選択肢そのものがなくなる。無責任な人と人生を生きるというのは、本当にストレスフルなことであるが、自分の終わりの日を知ってしまったのであれば、自分自身が自由に生きることを最優先にして、まさしく自分そのものが「無責任」になってしまうかもしれない。

だから、自分の死ぬ日を確実に知ることができるのであれば、人間の欲望というのはモロに剥き出しになるだろうし、若返りのための健康のことなど考えずに、好きなものを好きなだけ食べたり、今の仕事がいつまで稼げるのかを知ることさえしなくなるだろう。生きることそのものが苦痛だったり、生きる力を効率的に高めたいのであれば、自分の人生を「チル」することも大切。そうすることによって、一時的であれ、息苦しい中であっても生きなければならない目的そのもの自体を、ボヤかすことができるかもしれない。

多少の自分の心の状態、つまり、自分の喜怒哀楽の表現が下手であれ、意外と自分の中に潜在的に眠っている力というのは、終わりを意識することで解消できることもあるのかもしれない。どんなに頑張っても、始まりがあれば終わりがあるわけで、もし、今の状況に不満や不安を感じているのであれば、いっそのこと、その状況に見切りをつけるように、自分の心の中を誰かに伝え、それでも後に道が続かないことが分かってしまったのであれば、そこから次へ続く新しい世界を掴み取ることに千円し、それに期待した方がいいのかもしれない。

よく言われる「逃げてはいけない」という言葉に従うのであれば、全力投球をやめ、そこに生じたゆとりの中で、自己表現をするという選択肢を、積極的に選んでいくことを目指そう。

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