思考力

手放しの全力投入

 

選挙前だからとか、PCR検査が何気に高額だからとか、外国からの人の流入があるからだとか、カボチャ人間たちが大行列を作るからとか。感染が広がっていくことに懸念の声も色々とあるところだが、東京の新型コロナ新規感染者数は減っていることは事実である。過剰に懐疑的にならず、かといって楽観的になりすぎず、ここは安心して喜ぼうではないか。コロナのワクチン接種の効果が、この好結果に結びついているのが確実なのであれば、菅元首相の努力と、このワクチンを開発した人には、多大なる感謝を贈りたいものである。元首相もワクチンも、さんざんボロクソに言われ続けていたことを、一部の国民は謝罪しなければなるまい。

脳をリラックスさせ、心を落ち着かせる。心を癒してくれるコーヒーを飲み、ゆったりとボサノヴァを聞きながらブログを書き綴る。こんなに快適な生活を続けていれば、私の場合は、どんどん健康になり、コロナに対しての免疫力は、ぐんぐん上がっているはずだ。コロナだけに限らず、健康に生まれ変わる習慣を続けていれば、それこそワクチンに頼らざるとも、病気にかかることはない。

仕事によって多忙を極め、毎日のように激安食品をむさぼり食っていた会社員時代の私なら、今頃、往復3時間以上かけて通勤しているときに、間違いなくコロナに感染していたに違いない。そんなブラック企業と縁を切れたのは、何にも替えられない「命拾い」をしたのだと言える。そのような付き合ってはいけない会社に入社し、ケチョンケチョンにボロ雑巾扱いされた私は、8月からの労基を通した反撃により、月の収入の2倍以上の賃金未払金をゲットすることができた。まさに、安定を捨てつつも、激安食品を食うこともなくなり、健康体を取り戻した後の抵抗でゲットした臨時収入である。有意義に遣わなければバチがあたる。

そんなブラック企業で働いていた過去を思い出せば、胸糞悪くて吐き気もするが、そこで私を信頼してくれた教え子たちが多くいたことも事実。自作テキストが完成して、胃の中のものを全て吐き出した日々も懐かしい。物はいつかなくなってしまうが、知識は決して失くならない。高校受験の範囲を大きく超えた難単語を含んだ自作テキストや、徹夜で作った膨大な数のプリントを使って与えることができた知識が、私の講座を受けてくれた教え子たちの英語力に、今でも影響を与えていれば、地獄のような日々も報われるといったところだ。

私の専門は英語であり、その英語の入試問題を、単に丸暗記の学習で終わらせることなく、英文法を論理的に教えることで、生徒に思考力を働かせて問題を解かせる。たとえ「受験」という枠に括られた小さな世界であっても、頭が明晰な状態で、問題に対処して正解を判断することができる力を養成できるように、毎回の授業を組み立てている。だから、どんなに「受験英語」を批判されようが、そこに思考力を養成できる可能性があるのであれば、私は「受験」という枠の中の学習を否定することはない。そして、受験を終えても勉強を続けたいという気持ちを維持できる状態にして私の元を去っていって欲しいと思っている。

人は、手放して初めて気づくことも多い。大学受験であれ、高校受験であれ、受験を終えて初めて自分が取り組んでいた内容の素晴らしさに気づき、そこから自分の可能性を信じられるようになる。私の元を巣立っていった教え子たちが、今頃どのような人生を歩んでいるのか。どの授業でも、手を抜くことなく、給料をもらうだけで満足するような打算的な授業をしなかったと自負している自分。そんな自分が、現在、安定を手放した状態で振り返ってみると、やはり自分の教えに嘘遜色がなかったことを自覚できる。

ただ、まだまだ私の授業など発展途上。そして、新型コロナウィルスによって大きくオンラインにシフトしつつ、大きくスタイルを変えなければならない教育産業の中のブルーオーシャンで、自由自在に授業を進められる講師としての道を切り開いている最中である。全力投球で成し遂げてきた経験というのは、必ず、どこかで開花するということを、こんな中年になっても理解できるのだから、これからも、自分の仕事に対するプライドを失ってはいけないと、心から思うばかりだ。

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