思考力

傷を覆う刺激

完全に覚醒するのが、もう昼過ぎとなってしまった。一度崩れた体内時計というのは、元に戻すことが困難。気乗りしない毎日を、少しでも乗り越えようと惰眠を長くすれば、簡単に時間がズレてしまう。精神と肉体というものがパラレル状態にあるとすれば、やはり睡眠のリズムというのは、大きくメンタル面を表現するわけで、規則正しい生活という聞こえの良い言葉が、なんとも皮肉な表現に聞こえてくる。やはり、自分の精神力というのは、とても弱くて大きく崩れやすい。本当に強く生きている人は、なんとも頑丈な心を持ち合わせているのだと羨ましくもなってしまう。

そのような心を行動が表しているようで、グズグズと引っ越しができていない状態で、時間ばかりが虚しく過ぎ去っていく。今の住居でできることといえば、過去のトラウマを思い返しては、「クッソー」と怒りが込み上げてきて、ますます心が乱れいくだけ。私の心の傷の部分だけを、なんとか記憶のメモリーから切り離してもらいたい。ただ、仮にそんなことができたのであれば、精神科の薬なんて不要になるし、記憶が消えてしまえば、何度でも同じような苦しみに苛まれるばかりなのだ。だから、苦しい記憶というのは、どこかで抱えていなければならず、それを上書き保存できるような幸せな記憶を多く受け止めるべきだ。

明日から明後日にかけて、東京に一泊する。なんとなく自分の中の軸というのがブレている今、新しいことは見つからずとも、何か刺激的なことでもないかと期待している。やはり、このような期待感こそが大切で、自分の苦しみを助長させることなく、そっと閉じ込められる秘策となるのかもしれない。少なくとも、自分の中に渦巻いている怒りの根源に蓋をするためには、少しばかりの、いやかなり強い刺激が必要なのかもしれない。

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