思考力

週末に考える技術

 

今日は、週末日曜日。昨日は、天気が良かったし、日差しが暖かかった土曜日ということもあり、人の出が非常に多く、とても鬱陶しかった。やはり、混雑している週末は苦手であり、こんな読書にピッタリな、落ち着いた季節になって、わざわざストレスを溜めたいとも思わない。現在、夜中の3時であるが、このブログを書き終えたら、とっとと24時間営業の薬局へ行って、賞味期限ギリギリのヨーグルトでも買って、それを食べつつ、最近入った動画撮影の仕事の準備に取り掛かろう。週末でなければ、足ヒレを履いて、膝立ちニーボードで波の上を滑走したいものだが、先週の今日、あまりの混雑に自分の板が跳ね返ってきて、額を切ってしまった。だから、もはや週末に海へ行こうとも思わない。具体的には書かぬが、釣りもまた然りだ。

イギリスでは、コロナの新規感染者数が5万人を超え、ロシアやウクライナでも死者が多数出ている状況。気を抜くと、このようなリバウンド現象が起こるのだろう。日本も気を抜けば、「第6波」が到来してしまいかねない。私が、月に一回、気持ちを穏やかにする薬をもらいに行く、東京SHIBUYAでの「カボチャ変装会」は、強制的にでも注視してもらいたい。ただ、仮に中止の要請がでたとしても、結局無法者が大暴れするであろうから、焼け石に水になってしまうのが関の山だと思われる。

このような観点から、私のような独身フリーランスにとって、週末に過ごす時間というのは面倒であり、このような時間に、とっとと部屋の片付けでもしておいた方がいい。まさか、家事をしながらサーフボードで額を切ってしまうこともなかろう。一日中ずっと掃除をするのも骨が折れるので、とりあえず効率良く掃除をするために、時間を区切りながらコツコツと作業を進めていこう。このゆっくりと落ち着く気持ちの大切さを例えるのであれば、受験に失敗し、志望校に落ちる人の決定的な特徴というのが、実は、元々の頭の良さではなく、単調な作業を、いかに自分のルーティンに仕込むことができたかによるのであるのと同じようなことになる。さらに例えるのであれば、床にモノを置くと貧乏になると知ったのであれば、そのような悪癖をしないように、日々淡々と工夫できるように意識すればいい。そして、それが習慣化してしまえば、自分の悪癖も治り、生活全体が豊かになっていくことだってあろう。

私は、先生と呼ばれる立場で仕事をしているわけだが、そこには、やはり私から何かを学ぼうとしている人に対しての「原動力」となるものを与えなければならない。そして、何をやったらいいのかではなく、やってはいけないこと、特に、初心者の段階で厳禁なことを教えなければならない。大学受験生にとっては、受験のノウハウを教えることが一番大切になるわけである。ただ、このような不特定多数の人が読むブログを書く立場であれば、やはり、自分なりの視点で考えた、人生を豊かにする方法を、できるだけシンプルに表現しようと心がけている。つまり、私は、ゆっくりノロノロと人生を進むことの重要性を考える契機を、他者に伝えられる人材でなければならない。

人の心を動かす技術。これを習得するのは、非常に難しい。通り一辺倒な努力をしたところで、それを身に付けられるはずもない。長い経験とともに、そのような貴重な技術というのは身についていくものだ。相手を褒める技術。相手の話を聞くことに集中する技術。決して批判や否定をしない技術。時折、同じ言葉の言い方を換えて理解していることを促す技術など。様々な方法で、臨機応変に相手の心を掴んでいく。そして、その先に、自分の理想とする相手との関係性が深くなる可能性があるのであれば、思う存分、その技術を磨き上げる価値はある。

私は、人生をよりよく過ごせるためのノウハウを、自分を信頼してくれる人へ提供できる技術を兼ね備えている職人であろうと考えている。それは、組織の中で達成できることはないとも思っている。だから、一人で自分の考えや理想を追い求められるフリーランスを選んだ。だから、自分なりの影響力を、どんどん高めつつ、自分の本来の目的である「思考力」の大切さを説くことができる代表でなければならないと思っている。そこだけはブラしてはいけないのだ。

 

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