思考力

助手席の優等生

一つの記事を作成するのに、大体30〜40分程度かかる。そして、それをYouTubeにアップロードすると、全体で、1時間弱程度の時間を要する。これは、自分が1文字1文字、パソコンのキーボードを叩いて完成するブログであり、自分の思考過程をしっかりと踏んでいないと達成することはできない。自分で考えるという大前提が、自分で文章を書くことの意義であり、これを「ゴーストライター」を雇って、書いていたとしたら、自分のリアルな出来事や、自身の心理変化情景などは、全く反映されないと言っていいだろう。

しかしながら、今、AIを使って記事を作成するとすれば、タイトルだけ考えて、いつも自分が書く程度の文字数ならば、数秒で一つのブログが完成する時代になり、もはや、タイトルを考えることすらしなくても、AIが、今話題沸騰中の出来事やら、深い知識を伴う専門的な文章まで、秒単位で仕上げてくれる時代になった。これは、革命的だと言える。孫正義氏が、つい先日、AIを使えない人たちは、「金魚」と同じ程度の知能しか持っていないのと同じだと表現したけれど、その衝撃的な発言を初めて聞いてから数ヶ月しか経っていないのに、どんどんその真意が、肌身に染みて感じ取れるのである。

私のこのブログから得られる収益は、Googleから、雀の涙程度しか得られていないし、この記事の音声動画のYouTubeであれ、収益化の審査基準にさえ、到達していない。ここで、自分は、まさにギアのないママチャリでインターネットの世界で収益を得るべきなのか、最高級のエンジンを持つスポーツカーで、SNSで拡散していくべきかは、もはや一目瞭然。いわば、「キレイゴト」を引っこ抜いた状態で、自分の考えを、AIを副操縦士として考えて、助手席に乗せ、グイグイと時代の中へ入り込まなければならないと思っている。

仮に、この記事のワンセンテンスを、AIにプロンプトとして提示し、それなりの文章を作ってもらえば、それで自分の仕事は、コピペするだけという、とんでもないターボを手に入れられるのである。これを否定するということは、文章というのは「手書き」でしか認めないと言い張っているようなものだ。確かに、オンラインの授業が活発に行われるようになったとはいえ、それが実際に対面の授業と大きな差が出たかといえば、全くそんなことはなく、やはり対面で得られる臨場感や緊張感の方から得られる学習効率のほうが高い。これは、自分自身が、オンラインの授業をしてきた経験からも、とてもよく分かる。

ただ、リアルタイムで質問できないとか、正確な回答が教える側から得られないというデメリットが発生してしまった場合、やはり、わざわざ対面で授業を受けることには、大きな負担がかかる。そして、実教室の管理費や維持費などのコストを考えたときに、明らかにオンラインの方が安価に設定できるという側面もある。だから、これからの教育業界に関しては、いかにして「AI」が、受け手のニーズを満足させられるかということが大切になってくるし、それを成功させられたのであれば、学習塾という現場そのものが、とても危うい立場に陥ってしまうのかも知れない。

自分は、塾や予備校で指導してきた経験から、やはりその教室からの熱気や、空気を読んで授業の緩急をつけるようにしていた。ただ、それだと自分のやり方に反発してくる生徒もいたし、そもそもの教務や上司からの指示がキツすぎて、自分の理想とする共育を成立させられなかったという結末になってしまった。それが元で始まった、この「思考力養成予備校」であるのだが、このオンライン教育の中で、一歩先を目指すとするならば、良質なコンテンツを、いかにして教育上価値のある教材として「拡散」できるかが大切になってくるのだろうと思う。

ひしひしとAIの侵略が、自分を窮地に立たせている気がする。これは、被害妄想ではない。かつて、大学生の頃、パソコンという物体を見るだけで、時代に大きく取り残された記憶が蘇ってくるし、それが大きな原因となって、深い鬱状態に入ったのも事実。だから、先行者優位のブルーオーシャンで、今のうちに、どんどん拡散力を強めていくしかない。だから、このブログとYouTubeという媒介ばかりではなく、他のSNSを通じて、さらに異なる情報発信を考えている。やはり、自分の専門が「英語」なのだから、英語関係の一捻りできるパンチの効いた情報発信を考え中である。

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