思考力

弱い光に照らされる動物

夜は、決してパソコンを開かない。すべては、入眠を良くするための手段。しかしながら、パソコンは開けずとも、iPadでは動画を視聴できるわけで、情報断食だといって、iPhoneをいじらなかったとしても、インターネトからの情報というのを遮断することはできなかった。昨日は、iPadから流れてくる動画に見入ってしまい、あろうことか「ストリートファイト」や「ケンカ」「乱闘」などの切り抜きショート動画を観てしまった。憎しみで震え上がっているフラッシュバックの相手に、あんな豪快なパンチを喰らわせていられたら、今の自分はどんなに救われたのだろうかと、夜な夜な震えていた。

久しぶりに日付跨ぎで動画を観てしまい、今朝は、学習支援スタッフのボランティアの面接を受けにいくことになっていた。だから、朝の9時前には家を出ていなければならず、とんでもない眠気とともに、ブログなど書く時間が全く取れないまま現場へ向かった。今、帰宅して、飲み損ねたコーヒーを片手に、Macのキーボードを打ち、久しぶりに来たスーツの防虫剤の匂いが鼻につくので、洗濯機にスーツを入れて回している。強い眠気があるので、このまま眠ってしまいたいけれども、これから膝の注射と腰のレントゲン、新たに生じている股関節の痛みなどの診察を受けなければならない。明日も、東京で精神科の診察もあるし、年単位であっていなかった友人と会う約束もある。だから、この睡魔をうまい具合に飼い慣らし、明日以降の体内時差ボケの調整をしようと思う。

11月だというのに、夏日が続くという異常気象。今年は特に、猛暑というか、酷暑に見舞われていて、日本全体がドロドロに溶けているかのようだった。増税増税の嵐の中、繁華街で刃物を振り回す人もいたり、ビルから投身した人などもいたり、何とも穏やかとは言えない事件も多発している。こんな時代に、私に危害を加えた人間を見つけてしまったら、どんなに自分を抑えたとしても、自分の心を自制できないまま、自分もニューストピックを彩る犯罪者になってしまうかもしれない。

観葉植物が育つ。私の心が痛む。身体は、眠気を催しているのだけれども、眠りに落ちることはない。いろいろな現象が自分自身を包み、様々な心の動きが頭を混乱させている。ここ半年くらい、ずっと自分が飼っていた犬のことを思い出している。家に入れず、外に繋いでいた。とても甘えん坊の犬で、私と遊ぶのを心待ちにしていたのだ。だが、そんな期待をよそに、私は頭を数回撫でてバイクにまたがり、車に乗り、自分の目的だけをかなえるばかりだった。バックミラーに映る自分の犬の寂しそうな顔。そして、24時間のうち、ほんの数十秒だけ頭を触ってもらえるという幸せ。そればかりをずっと心待ちにしていたのだ。そんな犬のことばかりを考えて、いつもいつも「ごめんね」といっている。どれだけ寂しい思いをさせてしまったのだろうか。悔やんでも悔みきれない。

ある女性にそんな話をしていた時、犬という生き物は、どんな育てられ方をしたとしても、この家に買われて一番幸せだったと思う生き物なんだということを教えてもらった。その言葉は、自分の中で、本当に慰めの言葉となっている。ただ、自分からしてみれば、あんんあに甘えん坊で寂しがりやの子は、私なんかよりもっともっと愛されるべき家庭に飼われなければならなかったのだと酷く反省している。こんなにも、申し訳ない気持ちというのは、決して消えない。そして、最近では、同じような気持ちを、自分の母にも思い、本当に申し訳ないと思っている。人を恨みつつ、自分の公開を強く感じる。この狭間というのも、とても苦しい状態だ。私は、果たしてニュートラルの心境を取り戻すことはできるのだろうか。この暗闇に満ちた心の中に、強い不安を抱いている。

-思考力