思考力

翻訳機と計算式

 

話題が偏ってしまうのは良くないとは思いつつ、やはり、YouTubeから得られる有益な情報は、いち早くつかむべきだと主張したい。コレに関しては、昨日も散々述べたことでもあり、しょっちゅう具体例で挙げていることだから、素晴らしさの「ベタ褒め」は、あまりしないでおこう。あくまでも、「自分」が、その媒介から得られたエキスを抽出してブログを更新していかなければ、それこそ読者にとって「有益」な情報にはならない。

最新ニュースでいえば、数字上のコロナの新規感染者数は減少している報道やら、ドイツの総選挙のことやら。この2つを組み合わせて文章作成を思考すれば、宣言解除できるところまであと少しの状態で、日本も総選挙を迎えるのだから、一時的に、「マスコミさん」の協力を得ようという考えで、数字がぼやけているのかもしれない。このように、無理にニュース記事をリンクさせようとすれば、必ず猜疑心が湧いてきてしまうもの。でも、このように自分の頭で世界を俯瞰することで、メディアの情報を一方的に浴びる危険性を、十分に回避できる。

「断捨離」や「ミニマリスト」に共通しているCoreとなるものは、やはり「カタヲツケル」ということで、決して闇雲にモノを捨てているわけではない。自分の判断で、不要なモノと必要な物を、自らの意思で選別するという点において、マスコミからの情報を、一度、自分の思考のフィルターにかけるという作業と同じ過程をたどっている。

ただ、それでも自分の信頼している発信者の情報に関しては、「騙された」と思うほどの気持ちで信じて進むと、なかなか面白い人生の転がり方をする。チャンネル登録をしている発信者の情報は、胡散臭い点など微塵もないと信じ込んで行動する。疑心暗鬼になってはいけない。破天荒なことをして登りつめた発信者の情報には、常にパンチの効いた要素があり、そこに違和感を感じているのであれば、自分の違和感を払拭して、発信者の意見に従っていくべきではないだろうか。最新ニュースには批判的であり、信頼している発信者の情報は、鵜呑みにする。たしかに極端かもしれないが、あながち奇抜なアイディアを思い浮かべるには、あながちズレてはいないような気がする。

たとえ、それが企業案件であれ、新しい商品のレビューに対しての発信者からのメッセージには、深く耳を傾けるべきだ。「ケガをする前に盲信するのはやめておけ」という助言は、ある意味では、「ドリームキラー」の囁きだとバッサリ切り捨ててしまう。信じたいものがあることを批判したり否定される筋合いもなく、そのような毒の助言をしてくるような輩は、所詮、離れて行こうとしている自分の成功を不安に思っているだけなのだ。応援しろとは言わずとも、ブレーキをかけるのであれば、そんなエンジンブレーキは解除しても構わない。

自己肯定感を高める秘訣なんて、実は、このような「盲信」からくるのではなかろうか。確たる自己を確立するためには、確たる信念を持つ人を崇拝し、そこから照らし出された理想像こそが、自分のビジョン。自己啓発に胡散臭さを感じている冷ややかな人もいるが、私は、絶対に「影響力」のある人の意見を、しっかり受け止めるべきだと思っている。そもそも、「コレは、リンゴです」というシンプル極まりない日本文を英訳させれば、同じ答えになるだろうが、「「コレは、リンゴです」と私に言って来た男は、擦り下ろしたリンゴを持って来た」という英作文だとしたら、かなり翻訳も異なり、文法的にもエラーが出てくるはずである。

ただ、言語間の文法的なズレなどというのは、情報伝達の上では、さほど問題はなく、その情報を発信している人のステータスこそが重要となるのである。なかなか良い事を書いているつもりなのだが、影響力を持たない自分の意見が、いつか日の目を見る日のための証拠として、この記事をこの日付で残しておこう。影響力がアップしたら、昔から同じことを言っていると主張し、一貫性を持たせておきたいのだ。

このような態度を、「取らぬ狸の皮算用」とでも言うのか。朝に聴くJAZZを、2倍速で聴きながら書いているフライングブログを終わらせようとしつつ、そんな計算式を思い浮かべていた。

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