思考力

学べ、パンプキン

 

現在、夜中の3時。人間は、8時間眠るとして、人生の3分の1は眠っている。そう考えると、私のような不眠症患者は、人生の3分の1が上手くいっていないということになる。ただ、『スタンフォード式最高の睡眠』という本が、30万部を突破する程のベストセラーになるほどの状態であるから、かなり多くの人が「睡眠」に対して、満足していないのだとも言える。その本によると、睡眠に入った直後の90分間を「黄金の90分」というほど、寝込んだ直後は重要だと述べており、ここを充実させることを目標にしていけば、全体の睡眠バランスは良好と言えるそうだ。

昨日は、その本にならって、リンゴの香りがする入浴剤を入れた風呂に浸かってリラックスしつつ、心と体を癒し、スマホなどのデバイスを一切見ることなく眠った。5時間程度は眠れているので、とりあえず、「黄金の90分」は、満足できているのかもしれない。人生の残りの16時間を無駄にして後悔しないようにするためにも、また、人生の短さを考えながらも、納得のいく「睡眠活動」をしていきたいものである。睡眠不足が続くと「睡眠負債」というそうだが、眠剤を手放せないほどの重度の不眠症の私の場合、かなりの借金が貯まっている。これは、早めに返済しないと、とんでもない「しっぺ返し」が来てしまいそうだ。

こう考えると、朝活をするために、スタバなどでノートパソコンを開いて、勉強に勤しんでいる学生は、素晴らしく効率の良い勉強をしていると言えよう。若い人たちが、喫茶店で集中しながら勉強をしている姿は、とても美しい。そのような勤勉な学生は、自分が取り組んでいる勉強に対して文句など言わない。例えば、入試問題の超難問であれ、論理的思考のもと、自分の知識に効率よく結びつけようとするものだ。勉強に対して積極的になれない者は、こんな難しい英文解釈など、日常生活を送る上で役に立たないという、もっともらしい「シュチョウ」をし、学問の姿勢を大切にするものを批判するものだ。

どんなに複雑で難解な英文解釈であれ、そこには何らかの書き手の主張があり、それが入試問題であれば、そこには出題者の意図があるわけで、それらを汲み取って、日々の生活の中に織り込むことができれば、素晴らしく良い勉強をしていると言える。数学で言えば、微分積分が役に立たないと思いきや、日常生活での頭の思考回路を磨き上げるためのトレーニングだと考えて取り組める者は強い。まさに、当予備校のポリシーである、偏差値教育打破の考え方においては、受験をする上での受かるか受からないかの表面的な考えではなく、ある問題や課題から、自分は何を得られるのかを、じっくりと考えることは、いつどんな時であれ、極めて大切なのだと思っている。

「受験」という狭い枠組みばかりを目標に、学校での勉強を捉えがちな小中高生。これは、目指すべき順序が正反対。まず思考力を養成し、その後のステージで、さらに具体的な学習をしたいと思えば、受験勉強をするというスタンスでいなければ、真の勉強とはいえない。ただ、これから「大学全入時代」を迎えるにあたり、このような打算的な勉強をする人は、むしろ少なくなってくるだろう。もはや、偏差値ばかりを追い求める学習の虚しさを知らなければ、自分と自分の人生のレールが離散してしまうことにもなりかねない。

人間は、ずるさ、卑怯さ、嘘をつくというような、自分でも分かっていながら手放せない毒のようなモノを持っている。変なプライドばかりが先行してしまうのであれば、相手を見下したり、嘘をついて誰かを騙すことだってある。そこには、やはり「くだらないプライド」というモノが乗っかっている場合がほとんどで、それを捨てられずにいれば、自分のことそのものが嫌いになっていってしまうものだ。そうならないためにも、学問を通して、様々な角度から自分の視点の多様性を育み、多角的に物事を考えられる視点を持たなければならない。だからこそ、学ぶということは、一生続けなければならない、人間にとってのみ許された、かけがえのない活動なのである。

コロナの終息を見越してか、飲食店の自担営業の解除が決定された。この話題ひとつとっても、経済が回ることに賛成になるのか、再び感染拡大が起こる引き金となってしまうのかを考えなければならない。このような自分も当事者である深刻な問題に対して、自分なりの意見を持っていなければ、ただただ惰性に満ちた生き方ばかりしかできない人生となってしまう。そのような者が、何のためらいもなく「ハロウィン」などで馬鹿騒ぎをし、路上で泥酔して倒れているであろう。

やはり、問題意識を持つということは、自分だけではなく、自分以外の誰かを巻き添えにしない大切なことである。

 

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