思考力

断蜜が終わる頃

 

3LDKのマンションから、3LDKの古い一戸建てへ。そして今のワンルームのアパートsで生活している。そもそも、一人暮らしの男性が、だだっ広い3LDKに住むなど、「異常」に贅沢なことであり、不要なモノのために家賃を支払っていたようなものだ。数週間開かずの扉に収納された物を処分し続け、ただただ広い部屋のデッドスペースを縮めれば、一気にコンパクトな空間で暮らせる。今のワンルームで十分に生活できているのだから、今までが、いかにムダだったかもよく分かる。空間が広ければいいというわけではない。

結局のところ、マンションだろうが、戸建てだろうが、ワンルームだろうが、ジャズはジャズであり、それをBGMにして心地良くリラックスした雰囲気で、快適な朝を迎えることだってできることは当然である。いうまでもないことではあるが、狭かろうが広かろうが、どんな空間の中であれ、同じ状態を作り出すことは可能。むしろ、モーニングコーヒーの味は、整った空間の広めのワンルームの方が、落ち着いて味わうことができる気がする。もし、ピアノの弾き語りでもしてくれる人がいるのであれば、ピアノを置くための広い部屋が、さらに必要となるが、別にそんな予定は一生来ないと思われる。

今朝も、そんな呑気なことを考えながら、日の出前からブログを書き綴っている。そして、自分の強みは何だろうかなどという、根本的な性質について考えてみた。ただ、そのような強みというのは、具体的に書き出すことはなくとも、自然と醸し出される雰囲気に魅力を感じてもらえる心の性質あるとも言える。そのような自分の長所に、誰かが魅力を感じてくれたのであれば、その人との付き合いは、できるだけ長くしておいた方が良い。人間のインスピレーションというのは、その後に待ち受ける結果に、強い影響を与えるのだから。さらに、一度限りの人生における、掛け替えのない出会いというのは、決して、偶然ではない「必然性」を秘めている。少なくとも、今までの人生を振り返ると、私の人生では、偶然のような必然が、良くも悪くも、多々訪れている。

新型コロナウィルスの終息を見出せそうな、マスコミの報道する新規感染者数。これは、素直に喜ぶべきことである。ただし、もう少しで「1桁台」というところで「気を緩めなければ」という条件付きである。いくらミニマリストを目指しているからと言って、今、マスクを捨てて街へ出かけることはできず、共通認識として定着した「蜜」を避けるということも、数ヶ月単位で続けなければならない。「汚部屋」から身軽になった人の部屋が、再びゴミ屋敷にリバウンドするかのような「愚」を避けるべく、再度、我々は意識を高める努力をしなければならない。

緊急事態宣言が解除され、ずいぶんと行動制限がゆるくなった。もちろん、そのような自由を目指すための解除であるのだから、今まで「ステイホーム」という名の「檻」の中から出ることは許されるし、休日に絶対やってはいけないことが、これからは家にいて鬱屈とした気分になることへと真逆の方向に進んでいくのかもしれない。ウィルスによって、人類のライフスタイルが変化し、ウィルスの終息によって、かつてのライフスタイルが戻る。そんな時に、「あの時は大変だったよね」と言い合えるような状態を目指すことは、まさに人類共通の目標だ。

ひとつのことに対して、みんなで意識を高め合う。もしかすると、世界中の意識が全く同じ方向へ向かっているのは、この新型コロナウィルスによるものが、初めてのことなのかもしれない。そのような心理状態に入ることができたのであれば、協力しようという意識を阻害してしまうような邪念は、キッパリと「断捨離」し、コロナを「撲滅」させる方向へと進んでいこうではないか。

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