思考力

詰め込まれた生活の中で時間を加速させる

 

人間の睡眠のサイクルは「90分」と言われているが、やはりそれは事実のようで、なかなか寝付けなかった深夜3時頃に眠りに落ち、現在は、朝の4時半。私の身体であっても、キチンとした反応をしていた。眠る前は、かなり空腹で、コンビニまで車を走らせて夜食を買いに行こうと悩んだが、深夜3時頃に車のエンジン音で、平均年齢が高い近所の迷惑になることも忍びなかったので、母の遺影の周りに御供えしてある果物を食べ、ある程度の空腹を満たしてから眠った。だから、胃に無駄な負担をかけずに深い眠りを得られ、こんな早い時間であれ、スッキリとした目覚めの中、流れるような指先の動きで、ブログを綴れている。

日本の1年のうち、いちばん日照時間が長い今の時期。すでに辺りは明るく、早起き鳥が、チュンチュンと鳴き声をあげている。このまま波乗りに行こうかなと思うが、やはり今の時間帯は、普通の人にとっての「早朝」であり、車を動かすのは控えたい。だから、今のうちにブログを書くことにした。書き終えたら、そのままサーフボードを車に入れて波乗りにしよう。ここしばらくは波が良く、この先も良い波が続く予報。今時の波情報の精度は高く、現場で大きく期待を裏切るようなことは少なくなった。恵まれた時代になったものだ。

なんでこんなにもスッキリ起きられたのかの心当たりがあるとすれば、昨日処方された精神科の薬の影響なのかもしれない。本当に悩みに悩まされている「起きてからの謎の寒気」もなかったし、やはりこれは、薬の禁断症状であったのだろうか。今日だけで終わることなく、このまま得体の知れない「寒波」が来ないことを望む。何よりも、私の気分の波は、睡眠時間によって「寛解期」と「躁鬱の波長」に連動しているので、しっかりした睡眠サイクルは、このままの状態をキープして、決して失いたくない。

母の死。昨日の受診では、不思議なほど落ち着いていて、主治医に取り乱すこともなく、心穏やかに母の他界を伝えることができた。蒸し暑い日に、のどかな千葉から、人混み溢れるSHIBUYAに行けば、当然疲れが出る。その疲れを引きずりながら診察室に入ったためか、涙が一滴も出ることがなかった。主治医曰く、そのような状態になる人の数は、意外と多いらしく、誰かに対する死別に意外と落ち着いていられるのは、その人の死に対し、イマイチ「実感」が湧かないということがほとんどのようだ。多分に漏れず、私の涙が、診察中に溢れなかったことも、それが大きな要因のひとつなのかもしれない。

今月の15日に、かなり大きなお金が入ってくる予定で、その日を首を長く心待ちにしていたのだが、母の他界によるショックやら葬儀の準備やらの忙しさで、今月の母の命日となる「6月8日」から、あっという間に時間が過ぎ去り、いつまで経っても増えなかった銀行のアプリを開いたら、いつの間にか大きな額のお金が入金されていたという感じだった。やはり、大切なひととの死別という現実を一時的に掻き消す手段として、何か忙しいことに気持ちを向けることが大切なのかもしれない。

次は「四十九日」まで取り立てて急ぎの用事もない為、我が思考力養成予備校の「スペシャル企画」を開催することにした。「1ヶ月間3名限定」で、完全授業料無料で受講可能にする。これは、他ならぬ母の他界を忙しさで忘れる為であるし、完全なる“GIVER”に徹することで、それが目当てではないけれど、どこかしらでリターンが発生するかもしれないという期待も含んでいる。この企画に、たった3名とはいえ参加者が集まるのかどうかは不明だが、とりあえず企画はスタートする。Twitterでも報告済みだ。

そろそろ、このような私的な感情を込めた「雑記ブログ」から抜け出し、母の他界の前の「現在のトレンドの問題」を自分の視点で解析するブログに戻りたいと思っている。焦燥感に押し潰されたくもないので、今日は温泉にでも行こうか。懐も温かいし、そうしよう。波乗りも少しの間とはいえ、やっていなかったし、筋肉の痛みも穏やかにしたいから、温泉やサウナで癒しておこうとも思う。「人生一度きり」。そんな言葉を大切にして、自分の生き方の中に、「遠慮しない過ごし方」を優先して過ごしていきたいと思う。

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