思考力

未来のバンドエイドをはがす

 

スムーズに流れていく秋。ゆったりとリラックスする。心を落ち着かせ、考えるのをやめるには、とてもいい季節である。スウィートな10月に、ひしひしと幸せを感じている。たった今、釣りから帰宅し、魚を捌く前に、このブログを仕上げておかなければ、一番大切な「ブログ毎日更新」が途絶えてしまう。それだけは避けないと、一気に不幸な状態になりかねない。養殖のサカナではない、自分で釣り上げた魚を捌き、それを食料にしているのだが、まだまだ自給自足できるほどの旨い調理ができておらず、骨ばかりの刺身しか取れずに悪戦苦闘する。書き上げたら、マックのキーボードを叩いている掌は、一気に包丁を握ることとなる。

このままいけば、セミリタイアしてからの食費も、釣りで賄える日が来るかもしれない。見栄を張るために何かを欲することをしなければ、無理して働く必要もない。週休2日で9時5時の働き方という決まり切った「型」が崩壊し、様々なワークスタイルが浸透しようとしている今、丁寧な暮らしをすることというのは、自分を癒す為に最も有効な手段だと言える。もちろん、誰もが誰も労働しなくなることがいいかといえば、そんなことはない。経済が回らず、税金だって何処から引きぬけばいいのかも分からなくなってしまう。

しかしながら、このような鳥のせせらぎを聞くことに幸せを感じる生き方に価値を見出せるようになると、実は、マジメに「9時5時」で働いていた人たちが、ノーガードで税金を取られ放題だったことにも気付くわけで、たまの休みの釣りやサーフィンの満足感を、ずっと味わっていたいということになれば、フルタイムの正社員の人たちだって、税金を払わずに余暇の時間を増やすことを考えるようになるだろう。このコロナ禍で、そろそろ、大きな黒い塊がバタバタと倒れていく。そんな中、会社員であるという変なプライドが、果たして本当に必要なのかを、各々が考えなければなるまい。

断捨離やミニマリズムの考えを意識しているうちに、私自身の考え方や生き方が、とてもシンプルなものになった。例えば、時間の流れに対する考え方も大きく変化した。キリスト教的に、「過去・現在・未来」という時系列の順番の概念を、一度だけ取り外し、逆方向から考えれば、「過去」に執着することの虚しさが、一気に浮き彫りになってくる。これは、私という存在の立場からの考え方の変化であるから、特定の宗教や思想を批判しているわけではない。これを大前提として、以下の文章を整えていく。

未来に悩むということは、現在に居る自分が、過去の失敗を引きずっていることが発端となっている場合がほとんどである。では、未来から自分を見たときに、現在の自分の存在を、とりあえず「なんでもない」ということとして考えれば、ことの次第は一気にシンプルになり、とりあえず「生産性」が上がることにつながるのではないだろうか。もちろん、全てを効率化することを目的とするわけではないが、現在、どん詰まりで身動きが取れなくなっているのであれば、いったん自分の理想の未来像を、想像してみることが大切となる。

もちろん、このような楽観的なアドバイスをしたところで、「今」に囚われている人にとってはいい迷惑。それでは逆に、現在、絶対にやりたくないことを考えてみる。それを「やらない」ために「今」すべきことが、理想の「未来」へ繋がっていく。このような考え方はなかなか面白いと思う。例えば、私は、「今」の生き方を絶対にやめたくない。だから、やめたくないことを「やらない」ために、「今」すべきことは、今のスタイルを崩さないということになる。これは、ロジック的に難しく、一種の「アポリアー」な状態になってしまうのだが、とりあえず「現在」に満足しているから、それを「未来」にも続けていたいということだ。

もう「過去」のあれこれは、「時効」なのだ。スマホなんか持たずに釣り糸を垂らし、ゆったりと穂先を眺める。釣りをしながらスマホをいじっている人たちが、どれだけAIに支配されていくのだろうかと、要らぬ心配をしていることがある。お節介なので仕方ないが、「今」は、自分の自由だけを考えていたい。帽子を取ると、額に違和感があった。そういえば、昨日、サーフィンをしていて、他のサーファーとぶつかりかけて、自分の板で額を切った。その時のバンドエイド。こんなダンディーな中年時代を過ごす私は、批判されようが、否定されようが構わない。だって、未来の自分が「今」の自分の生き方を応援してくれているはずだから。

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