思考力

灰を振り落とす歌手

最近は、とても寝付きが良い。そればかりではなく、けっこう深い眠りでありつつ、長時間眠れる。尿意がなければ、もっと長く眠れるのかもしれないが、目が覚めた時が「朝」というような、大富豪のような暮らしも悪くはない。こうやって、朝のブログを書いていても借金が減るわけでもないのだが、心地のよい朝を迎えられるというのは、誰にとっても平等に与えられる宝物のような財産であり、莫大な富を持っていたとしても、それを病院のベッドで寝転がっているだけならば、少し虚しさを感じてしまう。それをリアルに感じたのは、やはり昨年の自転車での大事故だ。意識不明の渋滞で運び込まれた緊急病院のベッドの上で、天井のパネルのアミダクジを続けながらの入院生活は、本当に過酷だった。

もちろん、お金がないというのも苦しい状況ではある。一昨日振り込まれた僅かながらの収入内で2週間過ごすため、昨日は、薬局の「おつとめひん」の野菜やチョコレートなどを買う。ただ、これに関してだって、お金が入る前の数日間の「水だけ生活」に比べれば、よっぽどマシ。今は、そんな収入の中であれ、ずっと待望していた熱々のコーヒーを飲みながら、優雅に記事を作成している。こう考えたときに、お金がないときにこそ感じられる喜びというものが、別口にあると考えてもいいのかもしれない。そもそも、お金持ちはお金を使わないというし、今後、お金持ちになってからのいい勉強になっていると考えれば、苦痛も和らぐことだろう。

現在のように貧乏であろうが、親のすねっかじりだった頃のボンボンだった頃であろうが、やはり過去への執着はキレイさっぱりと消えることはない。またまた愚痴が始まったと思わずに、続きを読んでもらいたいのだが、そんな時に、どのように対処すべきなのかを、YouTubeなどを閲覧して自分なりの勉強をしている。まだまだ序の口とはいえプラスに考えられるようになった一つのキッカケになったこととして、仏教の世界では、怒りという感情は、とんでもない負の連鎖を引き起こすと考えられている。

怒るな怒るな、虚しいだけだぞ。このような考え方は、一般的にも言われていることなのであまり説得力はない。ただ、この怒りに来する仏教の教えでの比喩的表現が、とても参考になった。怒りの感情というのは、「火」のようなものであり、一度火がついて燃えさかれば、周囲を大きく焼き尽くし、ただただ「灰」となった心ばかりが残る以外ないと考えられている。もちろん、これ以外の解説もあるが、私の心に共鳴したのは、「灰」という比喩表現だった。ある意味で、自分が灰となるばかりではなく、さらに周囲まで巻き込んで灰にしてしまう必要もない。そんなことをしたとしたら、ますます孤立することにもなりかねない。

年が明けてからの1ヶ月間は、恐ろしいくらい人と話をしていなかった。そんな中、いざ誰かと話をしようとすると、どもってしまう。話さなければいけないということばかりが先行してしまい、肝心な話す内容が飛んでしまう。心ここに在らずといったところだろうか。ただ、独りだって得られるものもあると思っている。現在進行形で行われているシチュエーションで、誰かに対してイライラすることもないし、同じ状況で文句を言ってくる人もいない。

空気を入れ替えて洗濯物を回す。コーヒーを淹れて、無水調理鍋に大量の野菜を入れて煮込む。ブログを書いている間に蒸しあがった野菜にルーをかければ、ルーだけカレーの出来上がりだ。こんな些細なことに快感を感じられる。今日は、とてもいい気分だ。少ない貯金を遣って、カラオケにでも行ってこようかなんて考えている。

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