思考力

縮んでも前を向く

この記事を書いているのは、もうすぐ正午となろう時間だ。今日は、取り立てて起きるのが辛く、何故なのだかよく分からないけれども、心地よいマットレスに沈んでいる自分の身体を、地球に対して垂直に立たせることができなかった。このブログも、チャットGPTに書かせて、そのままアップロードしようとも考えたのだけれども、まだまだAIの文章力に完全に丸投げで頼れる能力はないようで、今、こうやってなんとか椅子に座れるまでに回復した身体を起こして、記事を書いている、ソフトバンクのCEOの孫正義が、チャットGPTを使えない人間は、猿以下になり、最終的には、金魚になってしまうと言っていたが、とりあえず自分は、まだ人間でいられるようである。

昨日、玄関で再起不能となったルンバが、今再び、同じように斜めのまま再起できなくなっていた。私が、本体を持ち上げたのだが、結局のところ、まだAIの力というのは、人間に依存していることは正しいのだけれども、やはり人間の知能の上を行くことは間違いなく、しかも、単純作業をこなす力がますます進化していくことは、確定的だ。今日の私のように、いきなり自分の気力がなくなってしまい、エネルギーが切れてしまうのが人間なのだから、バッテリーさえ充電を怠らなければ、ほぼ確実に動いてくれる機会に軍配が上がってしまうことは間違いない。最終的に、人間が金魚にならないためには、AIのコンセントを抜いてしまうだけの余力を残すことくらいだ。イーロンマスクでさえ、AIは人間に対しての脅威だと言っているのだから、今後のAIの進化には目が離せない。

AIは、今日現在まで蓄積されている知識や情報の組み合わせを無限にできるという点に関しては、とても優れており、すでにこれに完全に凌駕されていまっている人間が、ほぼ全てだと言っていい。ただ、「集める」ことはできても、「想像」して「創造」することはできないはず。だからこそ、どんな人間であれ、思考力を伴った生き方というスタンスが必要なのだ。自分が人間であり、人間であり続けたいのであれば、やはりこの考え方を捨てるべきではない。少なくとも、私は猿に成り下がったり、金魚になったりしたくはない。あくまでも、AIを利用する側の「人間」であり続けたいと思っている。

今日、なかなか起き上がれないマットレス の上で、iPhoneを眺めていると、双極性障害のほとんどの人が、データとしては、短命で終わっているということがわかった。双極性障害が、心の弱さに起因しているのではなく、脳の障害であるということは、ほぼほぼ解明されている。そして、その波を繰り返しているうちに、脳そのものの体積などの容量が、萎縮していくこともわかってきている。短命であること、脳の萎縮を避けられないということ。それを受け入れなければならないということ。問題が不可避なときには、辛抱強く、ときには、喜びを持ってそれを受け入れるべきだということを、常に自分の教え子たちには伝えてきた。それならば、今の自分の現状や、自分の抱える障害が不可避なのであれば、それを前向きに受け入れる心持ちというのは、必要だと思っている。人生は、後ろ向きにしか理解できないけれども、生き方は常に前向きでいよう。

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