思考力

生に満ち溢れる要素

 

「捨てる」ことと「開運」。やはり、この両者は強くリンクしているようだ。最近では、リサイクルショップに行くことも、もはた当たり前になっており、家の中のモノは、どんどん現金化されている。もちろん、二束三文ではあるが、自分の心の中に居座っている迷惑な感情を排除する為の積極的な断捨離というのは、とても気持ちが良い。自分の心を整理する為の時間というのは、自分自身と向き合う時間を多く取るということでもあり、その整理している間に排出したマイナスの要素は、今後の人生において、まさに「出禁」にすべきだと思っている。万が一、コロナにかかって自宅療養するにしても、グッチャグチャの幽霊部屋に介護人を招くわけにもいかず、たった一人でコロ助悪化による第6波の犠牲者の数にカウントされたくもない。

このような、見えざる病原菌と戦わざるを得ないような時代。生き方が大きく変化しようとしている渦中、直接的に国民ができる選挙などの政治への関心が高まり、世論調査では、この国の動きを担うリーダーへの選挙への関心が大いに高まっている。自分自身、幸いコロナではなかったにせよ、第一回目の緊急事態宣言の数日後に「ウィルス性肺炎」になり、良くも悪くも、自分の人生が大きく変わったわけであるが、やはり、コロナであるかどうかの「PCR検査」をして、保健所からの連絡待ちの間は、まさに地獄にいるような時間の感覚しかなかった。だから、コロナ収束へ向けての橋渡しをしてくれる、見返りを求めない政治家に、清喜一票を投じたいと切に思っている。

何やら、世間では物騒な事件が起こっており、マンションの敷地内で女性が刺殺されたり、JR某駅で、男性二人が刃物で刺されるなどの恐ろしい事件が起こっている。この「コロナ不況」が終わりを見せず、常に経済状況の悪化やコロナ蔓延の感染拡大が続けば、いくら治安の良い日本とはいえ、なかなか夜中に熟睡して疲労回復できるような治安の良さをキープできるとも思えなくなる。

私のように、ジャズやボサノヴァなどの音楽を聴きながら、起き抜けのコーヒーに、人生の全ての幸せを感じ、就寝前に、ストレスリリーフの音楽を聞き、寝る前の精神の安定を図ることに生きがいを感じている者にとって、治安の悪化は迷惑極まりないものである。そもそも、見知らぬ人から背後から刺されるような事件が、最近でも電車内で起こったが、その被害者にとっては、もはや電車に乗ることだけではなく、日常生活でも一人歩きをすることそのものが、恐怖でしかないはずであろう。心の傷というのは、肉体的外傷よりも深い。肉体的外傷は時間が癒してくれるとはいえ、心的外傷というマイナスの感情というのは、やはり完全に払拭させることは難しいであろう。

次元が違うとはいえ、私であっても、過去に酷く怒鳴られたり、殴られ蹴られるなどの過去に強い被害を受けたときと同じようなシチュエーションに陥ると、ガタガタと震えが止まらなくなったり、赤面して汗が滴り落ちることもある。心の傷というのは、ときに実に深い痛みとなり、ときに自分の人生の思い強い足枷となって悪影響を与えることもある。恐怖に支配されているとき、その恐怖の根源となってしまったことに対してのトラウマばかりではなく、そこに関与している人間がいたとしたら、そのような輩に対する恨み辛みも強くなる。そのような場合を考えると、いかに自分と、その周囲に存在する人間に対しての「清い折り合い」をつけられるかどうかで、重い足枷の重量そのものを軽くできるかが変わってくる。

生は、謎に満ちている。よく訳のわからぬ感情に支配され、その感情が払拭できないときに、人は強い苦しみを伴う感情を覚える。しかしながら、それを割り切って考え、自分を苦しめた人間や環境に対して「感謝」し続けることで、マイナスへ向かうベクトルが、ある程度、プラスの方向へ変化することもあれば、その諸悪の根源があってからこその人生だったと思えることもあるのかもしれない。さすがに、他人に刺されるという経験がプラスに向かうとは思えないが、たいていの場合、ネガティブな感情を重く受け止めすぎることなく抱き抱えることで、同じようなシチュエーションでその爆弾が爆発することもなくなるはずである。

偉そうに聞こえるかもしれないが、私も、命の危険を感じてしまうようなシチュエーションに何度も陥り、多くの人たちが、人生で自由奔放に楽しめる時期に、精神的不調で、入退院を繰り返す羽目になったこともある。そのような中、今の幸せがあるということは、過去の苦しかった経験が土台となっていると感じることも、とても多い。苦しみ抜き、ときに挫折したまま砂の上で倒れ込みつつも、そこで立ち止まりながら沈んでいくことを選ぶことなく、そこから立ち上がることに意義を感じ、プラスの感情を得られるような人生を送りたいと思っている。

やはり、そう考えると、生はチャンスに満ちているのだ。

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