思考力

POISON

「知は力なり」とは、よく言われることだが、正しい知識が自分を守ることは、確かなことである。そして、正しい知識を得たときに、今までの概念が間違っていたことを認め、新しい考え方へ移行するときは、ひどく勇気がいる。私が会社員として働いていた頃は、自分の精神的な悩みを解消すべく、同じような悩みを抱えている人の悩みを、和尚さんが問答するという動画を観て、自分の悩み解決の糸口を探していた。仕事そのものには、やりがいを多く感じていたし、自分の受け持っている教え子たちに対しての熱い想いは、決して失うことはなく、日付またぎで帰宅しても、頼まれもしていない「オリジナルプリント」を明け方まで作成していた。

ただ、いったん出勤してしまえば、本来なら自分の業務範囲外である雑務まで丸投げされるため、思うように授業準備などできるはずがないのだが、仕事が遅い奴だというレッテルを貼られぬよう、部長の顔色を伺いながら、最も苦手な「マルチタスク」を行なっていた。今考えると、特に、冬期直前期は、自分の一日が、本当に「24時間」だったのかという疑問が浮かぶほどの仕事量だった。もちろん、このような多忙な日々に忙殺されるがごとく、次々とカラダに不調が生じ、どんなにカラダが疲弊していたとしても、深い睡眠が全く得られず、どんなに素晴らしい映像を見ても、全く何も感じなくなっていた。

ひたすらに迫ってくる、数々の授業。白紙のテキストを即興で授業する。次の授業は、どの教室なのかも分からず、違う教室へ入っていくこともあり、チョークを忘れてしまうことなど当たり前で、挙げ句の果てには、テキストを持ってくるのを忘れる始末。授業中は、自分が日本語を話しているのか、英語を話しているのかも分からない、雲の上に放り出されたような感覚になることもあった。集中力がなくても、二本の脚で立ち、「気力」で授業をする。これが、やりたくない仕事であったのであれば、自分の身体を線路に放り投げるか、首をロープにくくって椅子を蹴って「ラク」になっていたに違いない。

しかしながら、いくら好きな仕事であっても、そこまでハードな状態の中で、中年となった私が、何十人もの生徒を受け持っていたわけだから、身体が壊れないはずもなく、見事に「ウィルス性肺炎」が、カラダに侵入してくださった。ウィルス性肺炎「様」のおかげで、ずっと悪夢を見ていた自分が我に帰り、ブラック企業に完全に洗脳されていることに気づけた。冒頭の「知は力なり」とはニュアンスが違い、「災転じて福となす」である。また、「コロナ」が流行り始める時と、年度の変わり目ということもあって、辞めるには絶好のタイミング。これに該当する格言は何だろうか。そんなことを、木曜の真昼間に、自分で淹れたてのコーヒーをすすりながら考えていた。

毎晩毎晩、そして日中にも、時間さえあれば、「本要約」動画や「論文解説」動画を視聴している。同じ本の解説であっても、解説する人が違うと、少し違った角度から、再度、同じテーマを考えることもできるし、内容を把握できるチャンスも多い。そうなってくると、今までの「未知」の分野が、「既知」の領域に加わり、自分の世界が拡がっていく。最近では、その分野では「達人」の領域の存在である、20年以上の付き合いの名医を「迷医」にすべく、1ヶ月間仕入れた「医療知識」をもとに話を進めることに生きがいを感じているが、流石に達人の領域にいる私の主治医は、それを遥かに凌駕した知識を持って跳ね返してくる。流石だ。このような頼もしいドクターを頼りに東京まで通院しているので、私の現在の精神的な波長が、どのような波を描いているのかを、客観的に知ることができる。

ただ、どんな名医であっても、老いもくれば、体調を崩すこともある。最近では、その主治医が大きな腰の手術をした。代わりのいない人間の存在価値は、多くの人にとっても貴重なわけで、そのような人の市場価値は、とても高い。年の初めに、私の主治医が急遽入院したことを知り、代々木駅から渋谷にある病院まで歩いて行き、途中の明治神宮で、自分と母の御守りの他、同じ御守りを頂き、主治医に渡した。別に、その主治医の「袖の下」にカネを突っ込んだわけではない。日頃の感謝の気持ちを素直に伝え、今後の御健勝を祈る意味を込めての、私なりの見えざる「宝石」だ。別に、違法行為ではない。

こう考えると、医者が高年収な理由がわかる。医者という職種は、6年間の猛勉強と臨床や研究の後、厳しい研修を行い、そして患者の生命を守る極めて重要な仕事だ。私の穴の開いた財布から、回復祈願の気持ちが秘められた感謝の「300円御守り」を受け取るのも当然。仮に、ある瞬間に「10倍の年収」になる条件があるとすれば、実務以外のところで、いかに相手に無償の思いやりを与え続けられたかが大切なことであり、ある時を境に、多くの人からの感謝が溢れる瞬間なのかもしれない。そして、その瞬間を知る時とは、自分が窮地に立たされた時、無意識のうちに支えてきた人からのエールを実感するモーメントなのだろう。

今、私の知る限りの「人材価値」の高い人は、見返りを求めない“GIVE”をし続けてきた人たちである。経済的自立を達成するためにどうすればいいのかを無償で動画配信し、一切の金銭的な見返りを求めずに活躍している人。実は、身体がボロボロな状態でも、それを見せずに教壇に立ち、英語の本質を教え続けている人。自分の身体的障害を克服し、不屈の精神で同じ障害を持つ人を支え続けている人。そのような人の価値が、衰えるはずもない。ただ、残念なことに、それを阻止しようとするアンチがいることも事実。もちろん、人材価値が高い人は、そのような情けない輩を相手にしないだけの強いメンタリティーを持つ人だから問題ない。むしろ、アンチを跳ね除けている姿すら美しく見える。

「コロナ禍」で時代は激変し、第4次産業革命に向け、世界全体が大きな変化を強いられることとなる。これを有利な状況へ取り入れられるか否かが、今後の「人材価値」の極めて重要な基準になるに違いない。垂れ流しになっている情報に対して、正しい情報と嘘の情報を区別するだけの「知」を手に入れれば、その個人にてっての貴重な「力」となる。悪い情報の罠に引っかかれば、自分の欲を知らぬ間に刺激されて、気づけば神経がすり減ってしまうかもしれない。もっと言えば、すり減っている自分にさえ気づかなくなるような最悪な事態が待っているかもしれない。

コンビニに並んでいる安価な食べ物が、実は「毒」のカタマリであることを知る。私が愛用している「しゃぶしゃぶ店」のサラダバーの野菜の栄養価が、ほとんどないことを知る。私が、小学生の頃は、「日焼けをすると冬には風邪をひかなくなる」と言って、学校内で一番日焼けした生徒を審査する企画が、校長先生の元で開催されていたこともあった。今考えれば、オゾン層破壊の危険性が未開拓だった頃の信じられない企画だった。ヤンキー漫画では、未成年がタバコを吸っているシーンが当たり前のように描かれ、制服でタバコを吸っていると注意されるような喫茶店に行かなくなった。今では、紙タバコを吸える店を見つけるのも難しく、喫煙可能な面積しかない店は、こんなご時世で店じまいを強いられるのは明らか。

オランダではかなり前から、今では、カナダやアメリカの一部の州では、「大麻」は、合法化されている。すると、紙タバコが違法となって、大麻が合法化される時代が来るとして、過去に「大麻取締法違反」で服役していた「犯罪者」は、デモでも起こすのだろうか。回転寿司の「ガリ」は、価格を抑え、鮮度を保つために、ポリタンクのような入れ物で、大量の食品添加物とともに店舗に運ばれる。すると、それを知らずに「低カロリー」を目的に足を運んでいる客は、「毒」を食べに行っていることになる。食中毒を出したら店舗は大きな損失を喰らうが、売り上げを出したら店舗は大きな利益を得られる。知らずに通えば、客は、金と引き換えに「毒」を体内に入れているわけで、そうなると店側は、確信犯的に「毒」を客に売っていることになる。

私は、2店舗利用している「しゃぶしゃぶ屋」のうち、1店舗を行く選択肢を消した。でも、残りの1店舗は、サラダバーではない「新鮮な野菜と肉」を提供している店なので、そちらには継続して通うことにした。先日、その店の計らいで、5ヶ月以上通っている私は、完全にVIP待遇の割引券を受け取ることができた。そもそも、そのような割引券は存在しないようだが、せっかく受け取ったので、次回使用してみることにしよう。ただ、「独り」を大事にしたい自分にとって、あまり特別なことはしていただきたくないな、という気持ちもあった。

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