思考力

毒の刷り込み

 

昨日は、少ないながらも続いている、雇用契約関係にある学習塾でのオンラインの大学受験指導であった。やっとのことで、オンライン機材の扱いにも慣れてきており、少々のタイムラグや、画面スイッチングで沈黙ができてしまうにせよ、英文解釈などは、明らかに実教室で授業をするより効率的であることを実感する。”why?”と”How?”を中心とした、受け手と授業を「創り上げる」マンツーマンリアルタイム授業がウリの私のテンポも、今や、オンラインでシッカリと発揮できている。

他にも、実教室では絶対にできない、オンラインならではの授業ができるのも、なかなか面白い。例えば、受け手が、新海誠監督の『言の葉の庭』について深い関心があるとするならば、それをネットで調べて、画像を交えつつ雑談のひとつに加えることもできる。逆に、私の世代とのギャップが生じてしまうのも当然だから、『美少女仮面ポワトリン』の話題が使えないかといえば、そんなこともなく、ポワトリンの画像を観せながら、雑談を挟むことだって可能だ。年齢のギャップを超え、話題を噛み合わせて授業ができるというのは、とても楽しいものである。

人間は、ハッピーになれれば、物事を理解吸収しやすくなるもので、私が受験生だった頃に受けていた授業であれ、やはり、授業が終わってからの充実した時間を振り返って、その余韻に浸るのが、何とも心地よかった。ただ、授業を受けただけで満足という状態になり、その講師の授業の90分だけを目当てにするようになると、本末転倒になってくる。あくまでも、自分なりの学習スケジュールを立てたり、自分なりに課した勉強をしたりしなければならないのは、他ならぬ「自分」なのである。

何かに強く依存してしまうということは、常に要注意しなければならず、あくまでも、全ての選択結果は「自分」に責任があると考えておかなければならない。風水の考え方を採りいれ、家具の配置を整えたとしても、悪いことが起こる可能性が「ゼロ」になることもないはずだ。失敗の原因は、あくまでも「運任せ」ではない、自分の中に存在しているのである。

今、夜明け前に起床してすぐに、ブログを書いているのだが、その下書きの原稿を作る為にトップニュースをみれば、やはり刺殺事件や、放火事件などのニュースが上がっている。コロナで自粛せざるを得なかった、飲食店の自担営業解除が相次ぐことは、大変素晴らしいことであるが、毎日の新規感染者数を同時にニュースにされると、結局はマスコミの「揺さぶり」で、視聴者側に完全な安心感を持たせぬよう操作している気がする。

もう、毎日の新型コロ助新規感染者数の報道は懲り懲りであり、トップニュースには、全国で、どれだけの人が前夜に熟睡できたのかということを調査した結果でも発表して欲しいものだ。今日も、早朝覚醒で夜明け前に起きてブログを書いている不眠症の私にとって、世間でどれだけの人が熟睡できているのかを知ることは、コロ助の感染者数よりも大事なのかもしれない。

無駄な情報が多すぎると感じるのであれば、いっそのこと、この時点で半分くらいはゴッソリと「情報断食」をすべきなのかもしれない。どんなに創意工夫して文章を整えたとしても、手書きの原稿を作る際に、悲惨な事件を目にしてしまえば、結局はマスコミのネガティブ情報を、記事の中に織り込むことになってしまう。今後のブログの内容の構築や、情報の仕入れ方にも気を張っておかなければ、メディアに流されるばかりの記事になってしまう。どんな記事を書き仕上げる時であれ、主体性だけは絶対に失ってはならないと、再度思う今日この頃であった。

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