思考力

乗る前の変形

朝の9時前に目が覚めた。残眠感は、少ない。こんなときに限って、アップルウォッチを装着せずに眠ってしまい、自分がどれほど焦って眠ろうとしていたのかが分かる。いや、リラックスを求めすぎて、もはや充電から腕へ装着までの動作を忘れてしまっていたのかもしれない。相変わらず、全くつながらない、「マッチングアプリ」の5分間の通話を期待しながら、YouTubeを眺めていても、だんだんそんなことがむなしくもなってきて、大量の薬を服用して(オーバードーズではない)床につくのであった。

昨日、改造したスケボーを海岸線の駐車場へ持っていって試乗したのだが、ほとんどの板が不発で終わってしまい、気分がげんなりとしてしまった。やはり、イメージと現実の乖離というのは、とても大きく、さらにデフォルトの状態での板というのが、その設計者にとってのベストなのだから、ど素人の自分が思いつくようなカカスタムなど、理想とは遠く及ばないのであろう。私が、8枚の板を車から降ろして滑っていると、いかにも工事現場のおっさんらしき人が話しかけてきて、「それは全部あんた物かい?」と言ってきた。確かに、一人で乗るには多すぎると感じるのは、当然だとも思う。「そんなに好きなのか?」と訊かれれば、「大好きです」と応える。そうじゃなければ、とんでもない数と、とんでもないカスタムをした板のオーナーになれるはずもなかろう。

その後、家に着くなり、強い眠気が出てきて、ビーズクッションの上でグースカといびきをかいて寝てしまった。すぐに料理のストックを作りたかったのだけれども、そんな余裕はなかった。そんな中、仕事が終わってから、犬の散歩をして、料理を作ってくれ、洗濯物を畳んでくれていた母のことが頭をよぎる。孝行したいときに親はいない。それは、親を持つ人ならば誰でも思うことだ。そうでなければ、自分に嘘をついて生きていくことになる。ただ、ブラック企業で勤務していたときに、そこの生徒から自分の父の死を、授業中に愚弄されたことは、今でも心に深い傷を伴って、ことあるごとに思い出しては、何も言い返せなかった自分の弱さばかりが身に染みて感じてしまう。

鬱の時は、風呂に入るという行為のハードルが、とても高くなる。今、この記事を書きながら、いつものような少し楽観的な内容の記事が書けていないことも分かる。寝起きということもあるのだけれども、いつもは眠っている時間に、文章を作成するというのは、やはりなかなか厄介な作業ともなってしまうようだ。このような気分の波を、上手く乗りこなせていないのであれば、自分は自分の障害とうまく付き合っているとは言えない。ただ、それでもなお自分の病気があることを認知して、そこをどのように動くべきかを判断することも大事だ。

再度、スケボーを改造してみよう。デフォルトの状態に近い状態に戻してしまうのも悪くない。やはり、作成者の考えを覆せるような改造というのは、なかなか難しいということも分かった。でも、それを分かっておきながら、ある部分だけ、パンチが効いたカスタムができるのかもしれない。そこで、自分の板の持つ性能の底上げができるのであれば、それで自分のカスタムの総仕上げは、とりあえず終わりにして、あとは乗り込むだけという状態にしてしまおう。あくまでも、本来の目的は、「乗ること」にあるのだから。

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