思考力

雲の上の床に集う

 

遺骨となって、帰ってきた。49日間は、私のリビングの隅の半畳ほどのスペースで、私が母を見守っていられる。いや、むしろ逆で、私が母の肉体の一部を感じながら、母がこんなに至近距離で見守っていてくれることが、これで最期となる訳だ。式を終えたばかりで、まだ何も手付かずの状態であり、これまた逆に、式と同日に初七日を執り行った日に、何かをできるのであれば、それこそ「メカ」のような生き方をしている。しばらくは、放心状態。これが、母を亡くした直後の当たり前の反応なのだと思う。

私が、一般常識がないことが大きな傷でありながら、兄が、葬儀などの知識に長けていることもあり、式そのものの進行が、とても手際よく終わった。東京の築地本願寺から、お坊さんを呼び、読経をしてもらう。こんな一連の流れを、しっかりと順調に手続きをしてくれた兄に対し、犬猿の仲の渦中で溺れてしまっていた私からは、なかなか表せられない感謝の気持ちが滲む。これから、母の遺骨をどのような流れで収めるかなどの一般的な取り決めのほぼ全てを、兄に一任することになるのだから、もう全てを洗い流さなければならないと思っている。

叔母、いとこ二人には、感謝の念ばかりだ。このような泥沼化した家族の中で、私の唯一の相談相手になってくれ、もし、この三人がいなければ、どこかで私は崩れてしまっていたのだ。東京から千葉へ引っ越してしまっても、片道2時間近くかかるであろう道を、車を運転してやってきてくれた。見返りの全く無い優しさ。心からの感謝を、如何様にして表現できるのか。お互い、あまり口上手でないことからも、やはり言葉で気持ちを表すことが難しい。そんな口下手なご家族が、こんなにも長い間付き添ってくれた。幸せな母との千葉移住生活を送れたのは、この家族なしでは考えられない。

この記事を書き始め、今のところ深夜一時を回ったところだ。精神的疲弊は、やはり並大抵のものではなく、いつ飲んだのか記憶に無いが、とりあえず早めに眠り薬と気持ちを穏やかにする薬を飲んで眠った。起きれば、深夜0時。そして、今、1時間が経過したというわけだ。この後、どうしようか。何だか、当分の間、波乗りは自粛することになるのだろうと思っていたが、このまま夜を明かして、波乗り復帰をしても良いのかもしれないとも思う。いや、時期尚早か。まぁ、いつかは訪れる復帰なのであれば、いつ復帰しても構わない。誰に遠慮するわけでもないのだから。

てっきり係の人だと思って、葬儀場に到着して挨拶に行った相手は、なんと二人の甥っ子だった。マスクをしているとはいえ、こんなにも雰囲気が変わるのかと感心した。遺影の選別のときに沢山見つけた写真も、母の写真に加えて甥っ子へ、全てあげてしまった。もう、写真という「紙」を、どんどん処分しようと思っていたところだし、ちょうど良い踏ん切りがついたところだと思う。何やら混乱していたから、焼きたくない写真を焼いてしまって、焼くべき写真が手元に遺っている可能性もある。もう、写真という「物」を持たないのであれば、全て燃え去っても問題ない。極端なところ、全て棺桶に入れても良かった。

骨が焼かれ、遺骨を抱えているとき、骨がゴロゴロと音を立てていることに気付いた。まるで、まだ生きているということを、母が私に訴えかけているかの如くだ。やはり、棺桶に眠っていた母の顔は冷たくなっていて、私の自著を4冊入れているときに、正確に「ありがとう」といえず、嗚咽しか出てこなかった。泣き崩れるのは分かっていたから、コンタクトレンズ装着も考えたが、いつも通りのメガネでいいと思った。案の定、ポタポタと私の涙は、メガネのレンズを内側から濡らせていき、雨の日のレンズの濡れ方とは正反対の別の水滴を拭くことになった。

今の賃貸の一戸建てに住んでいて、本当に良かったと思ったのは、まさしく今日であった。てっきり、遺骨を運んでくれるのは葬儀屋だと思い込んでいたが、実際のところ、遺骨などは、火葬場から遺族が運ぶということらしく、兄の車に遺骨と遺影と、名前が正確でないと思うので、とりあえずの位牌になるような物とするが、その3点。私がその車の前を走り、並走する形で、私の家に向かうこととなった。ここの部分は、全くの誤算。とはいえ、49日までの仏壇を置く場所を確保するために開けたスペースと、部屋を綺麗に保っておいたことは良かった。点でバラバラの家族が、契約した広いだけが取り柄の家に集まるとは思わなかったので。母と向かい合って座ったリビングの椅子2つと座椅子。薬を収納するボックスを兼ねた椅子。そして、今座っている仕事用の椅子。人数分なんとか用意できた椅子に、私を除く全員が座ってもらえることができた。

私が選んだ遺影は、とても良い写真だと思う。墓参りに行った墓地で撮った写真なのだが、母の顔がキリッとしている。この写真を見慣れるまで、まだまだ日数がかかり、見慣れた頃には骨はどこかの墓石の中に入るのだ。今しばらく、徐々に徐々に悲しみを癒していこうと想う。

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