思考力

各々の夢の反復横跳び

 

フリーランスの田舎暮らし。仕事の予定などパラパラ程度しかない。そうやって開放的な暮らしをしていれば、モーニングルーティンという「儀式」のようなことをしなくなる。最近では、夜にブログを書いたり、今日のように朝にブログを書いたり、様々だ。ただ、とりあえず、半年以上も「毎日更新」が続いているので、自分としては十分に満足している。家族持ちの会社員であれば、今日のように、梅雨明けすらしていない月曜の雨の降る朝に、起きることすら「拷問」に近いアンハッピーな状態に、強制的に起きなければならない。クソ上司がいるところへ向かう週明けの月曜の朝が、梅雨真っ只中の雨であるなど、やはり地獄の沙汰だ。

極度の不眠症で、これからの人生で一生飲み続けなければならないであろう「眠り薬」を服用している私も、やはり幸せな朝に目覚め、心を落ち着かせてリラックスした状態に入ることは難しく、やはり、独身のフリーな状態でしか、我が人生を安心して過ごすことなどできない。1ヶ月前に登録した「マッチングアプリ」など、結局のところ、実際に会えた人など居なかったし、そんなヒトが存在していたとしても、飯を奢ってあげられるだけの経済状況ではない。だったら、一人でいることの方が、よっぽど優先される。明日で、そのアプリの1ヶ月の期限が切れるのだが、それは自動更新システムで、気を抜けば、自動的にカネが流れる仕組みになっている。開発側も必死だ。

昨日は、夜の7時頃に眠気が来たので、ここぞとばかりに「眠り薬」を服用し、目が覚めたら朝の4時のようなイメージで床に就いた。ところが、私の不眠症は、そんなに甘いものではなく、人間の睡眠サイクルである「90分」で、目が覚めた。もう、眠れる眠れないは考えず、海岸で寝ることを決意し、サーフボード を車に突っ込み、腹ごしらえをする。そして、中途半端な時間に目が覚めてしまったため、時間的に、この「マンボウ」の期間でやっている飲食店がないことから、マックのドライブスルーでハンバーガーなどの「毒」を体内に入れることを許すことにした。最近のマックの景気がいい要因は、このご時世での「ドライブスルー」というシステムが大きく貢献しているようで、店には長い車の列ができていた。

近くの公園で、ムシャムシャと、ジャンクフードという「毒」を口から取り込んでいけば、ウトウトと眠気が増し、そのまま浅く眠った。そこから、フラフラしながら海へ。海岸へ車を止めたら、シートを倒して、夢の中へ。今の愛車の中で眠るのは初めてだったのかもしれない。ステーションワゴンの狭い空間で、深い眠りを得るのは難しく、時々目が覚めては、うっすらと夢の世界へといく。眠りの「反復横跳び」だ。そんな中途半端な眠りの中で出会えたヒトは、やはり良い人ではなかった。今や所有していない私の自転車にイタズラをした3人組の若者を、ボコボコに殴る夢だった。私の強烈な左ストレートが、現実の世界で空を切る。それが夢だと気づくのに、少し戸惑うほどリアルな夢であった。

昨日行われた東京都議選では、都民ファーストを掲げる、通称「緑の狸」と呼ばれる熟女が勝者となったが、それは真の勝者なのだろうか。いや、ただのタヌキだからというわけではなく、こんな梅雨空の中、投票率も低いということで、それはただの「組織票」で決まってしまったのかもしれない。数日前は、過労だと言っていた厚化粧のタヌキが、ニコニコと手を上げて喜んでいるという光景は、この梅雨空の元では痛すぎた。まさに、勝者なき都議選だ。今、新型コロナウィルスで新たに感染が確認された1487人を知って、どんな心情になるのだろうか。当選し、本来の目的を果たせた安堵感から、コロ助のことさえ思い出せない状態になっているのかもしれない。

そんな狸が悦に浸っている映像が流れる中、他の報道での「熱海の土石流災害」の光景は、目を覆うほどの光景だ。警察、消防、自衛隊などが協力し合い、まるで川のような流れと、泥沼に足を突っ込んで救助活動をしている。まさに、命がけ。これ以上、一人の命も失わせてはならないという使命感が伝わってくる。フロリダでは、12階建ての集合住宅マンションが崩壊し、24人が死亡。また、124人が安否不明のまま建物の解体が行われた。もう助かる見込みがないという判断の時期というのは、非常に難しい。都議選で当選した政治家は、コロナで助かる見込みがなくなりそうな国民を救助しようという気持ちがあるのだろうか。もちろん、皮肉な反語すら遣わなくてもいいだろう。

港でも、海上保安庁による伊豆山港の調査が行われ、潜水士による救助活動が、当面の間続けられるという。これから、ドローンで救出活動をし、行方不明車の居場所をAIで正確に掴み、ライブコマースによって、生存確認をリアルタイムで確認して安否確認が行われる技術が進めば、災害の多い日本にとって、強い救助道具となることは間違いない。そのような優れた技術を、上手に指示出しをできる「上のヒト」が無能なのであれば、全く意味はないのだが、現場で救助活動を行う人たちにとっては、欠かせないテクノロジーだ。

「生きがい」という言葉を定義するとすれば、無償であっても、それを行えるかということだと思う。最近、引越しを目前としている中、たくさんの参考書や本を処分している。仮に、解き直し、読み返そうとしたら、何年かかるだろうかという量だ。心の整理とともに、どんどん身軽にしなければならない。ただ、処分するときに、この参考書をもとに、ほぼ徹夜の日々を繰り返しながらプリントやテキストを作った記憶が蘇る。やはり、私の生きがいというのは、自ずと今の仕事に着地することに気づいた。

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