思考力

黒を切り抜いて遺る白の価値

 

24時間というサイクルで1日を区切らない。目が醒めたときがワンタームであり、そこから次の眠気がくるまでを待つ。これは、私が精神的に沈んでいるときの過ごし方で、うつ病患者などの「がんばらない期」には、とても重要な時期である。ここで無理をすると、風邪のひき始めに寒中水泳をするような愚行に繋がることもあるで、慎重に過ごさなければならないと思う。もし、会社員なのであれば、この時期を気力で過ごさなければならないのだが、現在、誰に命令をされる立場でもないので、ゆっくりと過ごそう。

唯一、拘束されることがあるといえば、このブログの更新程度であり、これでさえも気持ちの整理にブレーキがかかるのであれば、そのまま一時的に、止めてしまうのもアリ。昨日、頑張ってレコーディングした「ブログ読み上げ動画」であっても、予期せぬエラーで録音されておらず、こんなストレスがかかるのであれば、いっそのこと全てをクリアにした状態で過ごしていた方がいいのかもしれない。ただ、ずっと使っていなかったソファーと、ソファーに腰掛けながらパソコンを操作できる机でタイピングしていると、殊の外、記事を作りやすい。Macの燃費が悪いので、常に充電状態でなければ不安だった、ある種の強迫観念も、自分が少しやけになっている状態だと、そこまで心配する必要もないように感じた。「災い転じて〜」というところか。

「雑記ブログ」。読んでくれる方々にとって、こういう私的な内容を読まされるのは、極めて不快であり、インターネット上であれば、すぐに画面を閉じてしまえば、この拙い文章とはオサラバできる。ただ、これが書籍の場合だと非常に厄介で、一度購入した本というのは、やはりなかなか処分はできない。さらに、それは本棚の空間をも支配するわけで、その背表紙を見続けるのも辛いモノがある。かつての黒歴史である「自費出版本」も、蓋を開けてみれば、契約書がすり替わり、いつの間にか組まされていたローンの額面までもが変えられていたという「詐欺」であった。それに、まんまと乗せられた自分の不甲斐なさは、そのまま消したい過去だ。

ただ、そんな過去の事実を消すことはできず、そのように一度でも日の目を見てしまった書籍というのは、発行された瞬間に止めることはできない爆弾でもあり、簡単には消すことはできない。ツイートをサクッと削除するような感覚とは訳が違う。物を書いて表現し、それを本という完成形にしてしまえば、もう手遅れなのだ。そんな自著を、これみよがしに知り合いや、恩師、果ては親戚にまで送っていれば、これまた情けないを通りこし、生恥を引きずり続けなければならないという責任が、一生付き纏うこととなる。

そんな生恥の塊の本を、母の棺に納めた。その本の最終的な結論は、母への感謝であり、そこに嘘偽りはなかったのだから、やはり、ともに燃やしてもらいたいと想っていた。さらに、母には内緒のような状態で書いた書籍もあって、天国で読んでもらいたいとかいう考えではなく、こんな思い出も燃やしてもらいたいというおもいで棺に入れた。火葬場で遺骨となった母の肋骨のあたりであろうか、紺と紫の間のような色のシミがあったが、これは燃えきらなかったものだと言われた。ほぼほぼ私の書籍の名残だと想う。そうでないにせよ、母の骨の中に、確かに私の二冊の書籍は入っている。

黒い螺旋状の針金のような物があった。これは、母の心臓に埋め込まれたステントなのだろうか。千葉に来て、都内の大学病院の手術を受けたのだが、日本屈指の、いや、日本ではその大学病院の他に、もうひとつの心臓専門の病院でしかできない手術を受けたときの物だろう。服用している薬の関係で、私は長距離の運転はしないことを決めて、千葉での車の運転をしている。だから、そこだけは捻じ曲げられず、今でも東京の病院へは電車で行っている。だから、その手術を受けるときには、全てタクシーで行った。千葉へ戻るときに、私の親戚が車を出してくれた。昨日、お礼の電話をしたが、いくら感謝しても足りない。プライベートでもいいから来てもらいたいと言ったが、やはり、来てくれる目的が母の見舞いと言うことを遠回しに言われたような気がして、そのまま電話を切った。ただ、付かず離れずの状態は、絶対に維持したい。それは、私だけではない、母の願いでもあるに違いない。

タクシーで病院へ。いろいろあった。なかでも、会社運営のタクシーは、シルバーカートを引く母を見ただけで素通りしていく車も多いなか、ある時、個人タクシーがわざわざ停まり、助手席のシートを大きく引いてくれ、私が反対側から乗ったときに、私の財布のチェーンが引っかかり、それが皮張りのシートを引っ掛けて、穴を開けてしまったことは、痛い思い出だ。しかも、1000円もしない距離だったのだから、向こうとしては、とんでもない厄日になったはず。こうなると、強く出られたところで、訴える会社がいない分、個人タクシーの運転手が、怒り狂って来たらどうしようかとドキドキしていた。事無きを得たことを思い出す。

また、東京から千葉へ帰るタクシーでは、いつまで経っても同じ道を回り続け、怒り心頭で、いつになったら高速に乗るのかを聞いたら、千葉へ行ったことのない運転手で、目的地の設定が、都内の目的地を設定していたこともあった。そのまま降りると言って、金を払わないといえば「無賃乗車」と言われ、そのまま降車された工場地帯では、タクシーが捕まらなかった。蒸し暑い日だったことを思い出す。のちに、そこの会社の責任者だったろうか、菓子折を持って、床に膝をついて謝ってきた。そんな思い出もあった。

もう、そんな思い出は、私だけのものであり、それをシェアできる人は、この世にはいない。私が、十代の頃に強く当たったこと。花の大学生の時に底無しの鬱に苦しんだこと。警察に捕まって、病院へぶち込まれたこと。それこそ、出版費用、ギャンブル、車の違法ギリギリの販売を同時期に食らったこと。どんなことであっても、全てを知り、全てを分かっていた存在の母がいなくなってしまった。逆に考えれば、その部分をゴッソリと切り取っても、何の矛盾もないように、今までを語ることもできる。ただ、そんな虚しいことをしようが、母は、見抜く。

でも、死後の世界というものが、単なるファンタジーの世界であるのであれば、私の過去の詳細を「通時的」に知っている人は、一人もいなくなったのだ。

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