思考力

途切れて回るもの

携帯電話が使えなくなって、4日目。私は、自宅のWi-Fiを使用しているので、ネット通信には何ら問題は無いし、そもそも引きこもり状態が継続しているので、スマホの通信ができずとも、パソコンやiPadを使えば、ネットもYouTubeも問題ない。ただ、通話機能に関しては、未だに復旧しておらず、こちらに関しては、大問題だ。なにぶん、現在の私は、一刻を争うほどでは無いにせよ、色々と裁判関係の手続きで、弁護士との連絡が必要なのだが、それができない。コレに関しては、本当に困ったものである。

普段、電話機能など専ら着信専用で、電話をかけるとしても、無料通話の10分以上の発信は、絶対にしない。それにも関わらず、こういう重大な電話のやり取りが必要な時に限って、電話の機能が麻痺してしまうと、イライラも募るばかりだ。ただ、仕事や生活をする上で、電話機能が使えない人にとっては、まさに致命傷であり、死活問題だ。だから、私の使っている通信会社に対しての損害賠償請求やら、その携帯会社の契約解除手数料だけでも無料にしろなんていう苦情に関しても、今後、どのような姿勢を取らなければならなくなるのだろうか。考えただけでも、莫大な損失だ。私の借金などと比較するのが、申し訳なくなる。

宝くじに当選して、ポッと出た会社ではなく、努力に努力を重ねた上で築き上げた会社であるのだから、今回のミスは、とんでもない大惨事になるのも無理はないし、幹部を含め、従業員全体のショックも尋常ではなくなる。最近の引きこもり生活で、宝くじに当選した人の末路を観るのが日課になっているのだが、やはり人間は欲深いもので、ポッと出た大金を手にすると、カンタンに理性を壊すような金銭感覚になり、自分の欲望が剥き出しになってしまうようだ。

ギャンブルは、必ず胴元が儲かるシステムになっている。そして、最初は遊びのつもりでも、どんどん深みにハマっていく。やがて、抜け出せなくなったときに、周囲の人間関係を含め、全てを失っていることに気づく。宝くじだって同じ。一等の当選確率は、ハイジャックに遭う確率と同じなんて表現をされるが、その後の人生のほとんどが、破滅の道へと繋がっているのだから、やはり、「勝ち逃げ」は、許されないのだ。

昨日、犬の出産の動画を観た。まさに、新しい命が産まれようとしている瞬間。観ている私の拳にも力が入った。そして、雪山で遭難しかかり、人間を信じられなくなった猫を助ける動画も観た。やはり、脈々と生命が動いていた。人間だって、それに負けないはずだ。お金という力は、毒にも薬に間なる。カンフル剤のようなお金は、毒にしかならず、漢方薬のように積み立てたお金は、薬になる。最近、なかなか精神的に不調なのだが、そのような中で考えるべきことは考え、時間が余っているような「今」でしか考えられないことを、考えていこうと思っている。

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